1 新任職員のあなたへ
児童養護施設で働き始めた、その日から、あなたは、福祉従事者としてのプロ(専門家)です。子どもたちも、その保護者も、更に関係機関も、そのように見ます。プロは、その業務に関して、常に勤勉であることが求められます。児童養護施設では現場の職員を「直接処遇職員」と呼びますが、直接処遇とは、子どもたちに対しての直接処遇であり、つまり、あなたは、子どもたちへの対応に関して、常に学び、分からない時は、書籍やその他の専門家からアドバイスを求めることが重要です。勿論、同僚からアドバイスを貰う時もあることでしょう。その際、そのアドバイスを真摯に受け止め活用していく柔軟性も求められます。
あなたは、子どもたちへの対応を工夫していく専門家です。その工夫が上手くいった時、保護者にフィードバックしていく、そこに専門家としての醍醐味が見いだせます。保護者が家庭において対応困難と認めざるを得なかった子どももいることでしょう。そんな、子どもや家族において、児童養護施設は、救いの場ではないでしょうか。
常に、初心に戻りましょう。「子どもたちのために働きたい」、誰もが、夢と希望を持って働き始めたことでしょう。子どもたちへの対応が難しければ難しいほど、子どもたちから学ぶことは、たくさんあると思います。それが「共育」(共に育つ)なのです。
プロとして最も基本的な内容は、「仕事に私情を挟まない」と言う事です。私たちは、つい、プライベートでイライラする事柄が生じると、それを仕事の時間まで引きずってしまったり、チームワークの中で、職員関係が偏ってしまったり、昨日遅くまで飲んでしまい仕事の時に居眠りをしたり、やる気を失っていたり等が、人間だからありえます。
しかし、私たちは、プロです。例え、心の中では、泣いていても、子どもたちには、笑顔で対応するくらいの意識を持てるくらい自分を鍛えていくこと、そのプロセスを自覚と表現できます。また、プロゆえに普段の健康管理も大切になります。体調を崩すと意欲の低下に繋がり、それは、子どもたちや他の職員に迷惑をかけることに繋がります。
私たちの役割で最も重要なことの一つに子どもたちと時間を共有することが挙げられます。それは、仕事的には、サボタージュに見られそうですが、明らかな勘違いです。生活の中の心のケアとして重要なことは、さりげないコミュニケーションです。
「どうせ私のことなんか見てくれてない」「気が向いた時だけ関わるのはやめて」、子どもたちの心の声が聞こえてきませんか。私たちは、積極的に子どもたちに関わることが大切です。必要な時だけとか時々とかでは、子どもたちは、満足しません。細く長く、つまり継続的に関わっていくことが重要なのです。「いつも、私のことを見てくれているんだ。気にしてくれているんだ。」の感覚が子どもたちを安心へと導いていくことでしょう。
話題は、どこにでも転がっています。服装・ニュース・TV番組・行事・趣味・天気・体調・遊び等々です。時には、夢を語り合うこともいいでしょう。また、駄洒落に代表される無駄話も大切です。無駄話をきっかけに笑いが生じ、それが笑顔へと繋がっていくからです。結局、コミュニケーションの最終形態は、「笑顔」と言う事になります。
子どもたちに対応する時、知識に頼ろうとしていませんか。あるいは、考えすぎていませんか。勿論、専門的な知識も確かに大切です。しかし、まず私たちが会得しなければいけないことは、子どもたちとの付き合い方の「感覚」では、ないでしょうか。具体的には、
①言葉がけによる、表情・仕草・言動・体調の変化。
②お話・注意・叱責時に於ける、表情・仕草・言動・体調の変化。
③スキンシップ(握手・ハイタッチ・だっこ・おんぶ・肩車・体を洗ってあげる・くすぐる・プロレスごっこ・添え寝・ほっぺに触れる・頭を撫でる等々)による表情・仕草・言動・体調の変化。
④対応のタイミングに於ける表情・仕草・言動・体調の変化。
⑤情緒的不安定の状態。
⑥本当に体調が悪いのか?体調が悪いと自分で追い込んでいるのか。風邪等の疾患の予兆なのか。仮病なのか等々の判断。
⑦幼少期・少女少年期・思春期・青年期、様々な時期の子どもたちの心の揺れ。
⑧まだまだ、いろいろあると思いますが、ここでは、省略します。
これらの状況は、知識だけでは、臨機応変対応できません。各々の職員が感覚的に会得し、そのためには、様々な対応を試行錯誤する必要があります。只、引継ぎに於いて感覚的な部分は、難しい場合があります。そのような時は、客観的事実を引き継げば、よいでしょう。
あなたは、研修に参加することもあります。そこに参加費・交通費・日当・宿泊費等のコストが掛かっています。その費用は、措置費つまり税金から工面される訳です。つまり、マンパワーの育成と言う観点から国民が投資していると考えても過言ではないでしょう。従って、研修中に居眠りをしたり、退出して観光したりはもっての外の行為です。また、研修後は、その情報を職場に還元することが義務です。「研修報告書」を確実に提出しましょう。
児童福祉に対する意欲を持続し働ける職場、これが児童養護施設でありたいと望みます。そのために必要なことの一つに、同僚間の励まし合いが挙げられます。「褒める」「認める」「力づける」「助言する」「補助する」「フォローする」そして、時には「叱咤激励」する。失敗したときは、振り返って失敗理由を探したり、慰め合ったり、協力しあったりなどなど、このようなシーンの積み重ねが職場を活性化し、職場全体がレベルアップしていく原動力になることでしょう。まずは、同僚を認め信頼しあうことから始めましょう。
最後に、子どもたちは、大人に成長するとき、人生について次の根本的な疑問に対して、解答を求める必要があります。
①私は何なのか:自己の確立
②私は何故生きているのか:人生の意義
③私は何をなすべきか:人生の目的
そして、子どもたちの大人への成長に関わっていくのが、私たちワーカーです。子どもたちは、日々大人に向かって成長しています。一日たりとも無駄にはできないわけです。「共育」、私たちも子どもたちと共に、自己の確立、人生の意義、人生の目的について解答を求めていき、互いに成長していきましょう。
2 主観は危険
「主観」は、危険性を秘めている点が挙げられます。
例えば、男の子同士で喧嘩をしている。ある人は、暴力はいけないとの主観が強く、喧嘩を否定的に捉える。ある人は、男の子だから喧嘩の一つや二つ経験した方がよいと考える。ある人は、互いの主張を認め、子ども同士で解決できるよう導いていく働きかけを行う。つまり、喧嘩を肯定的に捉える。ある人は、喧嘩両成敗で、肯定も否定も表さない。などなど、対応者の主観的な考え方によって、同じ事象でも違った対応になってしまいます。それはそれで悪くないのですが、子どもたちに対して、複数の職員が対応していく児童養護の現場では、支援の一貫性が失われていく危険性が秘められているのです。特に被虐待児、AD/HD、LD、様々な要因による情緒不安、てんかん児、触法行為を繰り返すお子さんなどなどは、自立支援方針の一貫性が求められるわけです。大人の対応がちぐはぐでは、子供たちが混乱してしまいます。
また、記録に関しては、決して「主観」を入れてはいけません。記録は、客観的事実を記載していくのが本筋です。
これも一例ですが、例えば、子どもが触法行為により家庭裁判所で判決を下されるような立場になったとき、場合によっては、調査官よりケース記録の提出を求められることもあります。もし、記録者がその子に対して否定的な感情を持っていて、その主観が記録に表現されていたとします。それが、裁判官の心証に影響したとしたら、記録者の主観が子どもの人生に大きく関わる結果になってしまうわけです。ここにも「主観」の危険性が秘められています。
「主観」の危険性は、至る所に転がっています。だからこそ、担当者一人で背負うのではなく、職員がチームとして機能していくことが大切です。例えば、以前、私が職員のリーダーを務めていた頃、ケース会議に保育士・児童指導員・心理療法士、そして、調理員も出席してもらいました。それは、保育士は、保育士の視点で子どもを捉え、心理療法士は、心理療法士の視点で子どもを捉えます。これらは、職種ごとの主観と言えます。ここに食育を担っている調理員や栄養士の視点を入れることによって、生活支援・心理支援・食育支援、そして、施設長の運営的視点が複合的に絡み合い、ディスカッションにおける内容の幅が広がり、様々なアイデアの中から、方向性を導き出していくことができました。勿論、年に数回は、児童相談所のケースワーカーや学校教師や医師にも出席をお願いいたしました。
主観とは、個人だけを指すものではなく、職種ごとの主観も指します。そこで、必要なことは、客観性です。前述の会議のように、複数の職種で話し合うと、それぞれの職種が、他職種を客観的に捉えることが出来ます。「あぁ、そんな考え方もあるんだな」「でも、一寸待って、それは、違うんじゃない」などなど、各々が各々の意見を検討します。そこに客観性の発展が生じればベストです。そして、チームワークへと結びつき、更に「悪影響を子供に与える」ような内容があった場合、自浄作用が働けば、超ベストになります。
私が現場で働いている時は、常に自分を客観的に捉える視点を持つことと、初心を振り返ることを、肝に銘じていました。自分を客観的に捉えると、必ず、対応の後に振り返りをします。時には、満足し、時には、反省し、時には自重します。そんな時、私が、仮に間違った対応をしてしまった時は、子どもにも、保育士にも、謝るべき時は、素直に謝ると言うことを心がけていました。
児童養護施設にいること自体が、劣等感であり、大人への不信感でありそれがあることにより、児童養護施設で生きている自分自身を否定的に捉えてしまい、時には自暴自棄に陥るなど、勿論、子供たち全員が、そのような心持ちであると言うことでは、ありませんが、しかし、確かに上述した心持ちの子供たちもいて、それらに対して、担当者は少なくとも他の職員よりもは、共感することができるのも事実です。
大切な事は、子どもたちの幸せは勿論のこと、職員がやりがいを持って子供たちへの支援ができる職場作りとなります。「福祉」とは、子どもたち、その保護者、関わる支援者、みんなが幸せを感じること。そのために何を成すべきかと言うことになります。
児童養護施設で働くあなたは、子どもたちと共に生きています。自分の青春の時間を子どもたちへの対応に捧げている人もいることでしょう。自分の人生を豊かにすることも子育てにとって大切なことです。自分を犠牲にすることは本末転倒になりますが、それでも福祉従事者の中には聖人のような働きをされている方がいらっしゃることもまぎれもない事実です。
3 ガイドラインの策定
私たちは、専門家あるいは、プロフェッショナルであり、そこには、多大な責任が生じていることは、言うまでもない事実です。専門家とは、一般的に有名なのは、医師・弁護士・教師・税理士等々ですが、それらの職種の方々は、クライアントのプライバシーに対して、守秘義務を厳守しており、只、クライアントへも情報開示を一部行わない場合があり、それが、社会的に非難を受けている部分があるのも周知の通りであす。そのようなことを考慮し、私たちは、クライアント(家族)に対して、慎重に情報開示を行い、それ以外の場所に情報を流すことは、絶対避けなければいけません。
しかし、私たちは、日々の支援の中で、時には、行き詰まり悩み苦しみ、そんな時、スーパーバイズを求めたいと感じます。例えば、緘黙や学習障害等、症状に対する対応アドバイスであれば、特にケース内容を持ち出す必要性はありませんが、不登校や被虐待等は家庭や地域環境等の背景説明が必要であり、そうなるとケース内容が漏れてしまい、結果的には、守秘義務に抵触することになります。
従って、前者の場合は恩師等の出身校関係者にスーパーバイズを求めても差し障りがないと考えられますが、後者の場合は嘱託医にスーパーバイズを受けるのが本筋です。また、気をつけなければいけないことは、一般的にスーパーバイズを受ける場合、そこに料金が伴う場合もあります。それは、自己育成のための投資として自己負担で行うと思いますが、その時、ケース内容を持ち出すことは、倫理的にいけないことであることは、見識のあるあなたは、十分に承知していることでしょう。只、方法として、ケース内容について創作部分を挿入することによって、クライアントが特定できず守秘義務に抵触しないこともあります。これは、裏技であり、各々の倫理観が問われることになりますので慎重さが求められます。
児童養護施設で働くあなたへ、子どもたちを研究対象として扱わないこと。これは、とてもデリケートな事項です。あなたは、日々の支援の中で、時には、支援方法を試すこともあります。数値評価することもあります。それらを学会や研究会で発表することもあるでしょう。総論的に言えば、研究対象として扱っていると考えられる部分もあります。しかし、ここで表現している「研究対象として扱わない」は、支援者の気持ちの問題であり、倫理観の問題であると考えられます。どの程度の内容までが守秘義務に抵触しないのか、あなたの職場でガイドラインを策定することは、とても重要なことでしょう。
4 人生のキーポイント
児童福祉の世界では、子どもたちがいて、その前に福祉従事者が存在するのが基本です。
子どもの行動的な特性を「問題行動」と捉えることは、大人の逃避ではないでしょうか。
子供たちは様々な環境要因、例えば、虐待、親の養育能力不足、劣悪な生活環境などなどから、時にはトラウマとなり、時には、性格行動として現れ、時には情緒不安になるなどの行動的な特性を表すのであって、障害(ハンディ)や疾病と違って、大人の側に課題が生じているのが事実です。
「問題行動」と表現した場合は、如何にも子どもの側に非があるような印象を受けてしまいます。また、そのような表現をする人も、意識の中で子どもに非があると認識しているとの印象を持ってしまいます。
まず「理解」する。そして、「共感」する。その後に「受容」が始まります。子どもの側に立った意識へと自分自身を導いていきましょう。それが、正しい表現へと導いていく道標になります。
「問題行動」と言う表現は、医学界で用いる表現です。ただし、そこには、疾病や傷害が伴うからです。もう少し追記すると、身体的ハンディや知的ハンディの福祉では、クライアントの行動的、情緒的な特性を「個性」として捉えています。
大切なことは、日常生活の中で表出する社会不適応をどう改善するかです。子どもの行動を問題視するのではなくいかに適応状態へと導いていくかです。子供たちは、周囲の特に保護者から問題視され続けて、結局は、養育困難へと繋がったタイプのケースも少なくありません。そんな子どもたちが、児童養護施設に入所後も問題視されつづけられたら息が詰まってしまいます。
私たちの究極の養育目標は、子供たちを社会人として送り出していくことです。子どもたちへの支援は、ライフサイクルの中の今、何を伝えていくのが最良かを常に検討していきます。今、明らかな社会不適応言動が見られるのであれば、その原因、理由を探り、それは、ほとんど過去の出来事なので、修正することは根気のいる取り組みが必要になりますが、一つ一つ、解決していく忍耐力が求められます。
私が「問題行動」と言う表現に嫌悪感を持つのは、まず、ひとくくりにされてしまうことです。子供たちは、様々な原因や理由の表現をしているのであって、それが時には稚拙だったり、時には、発達段階の中で善悪の区別に関する部分を十分に習得していなかった場合もあるし、基本的信頼関係の未習熟や様々なトラウマ表出もあることでしょう。それよりも、子どもの側に立ったとき、自分が問題視されていると感じたとき、ものすごく嫌な気持ちになることでしょう。現代社会は、何がノーマルなのかファジィな時代です。憲法や法律違反、社会通念、道徳、倫理、これらに反することが「問題」ですか。すべて人間が作り上げたもので完全ではないのです。
つまり「問題行動」と言う表現そのものが主観的であり、定義付けさえされていないファジィな表現なのです。子どもたちに「君の行動は問題行動だよ!」と責任と自信を持って言えますか。少なくとも私は、言えません。何故、「問題行動」と表現できるのかが理解できません。問題視するのではなく、「目標設定」や「課題点」を示すことが大切でしょう。
私自身、たくさんの子どもたちを社会に送り出していますが、誰一人同じタイプ、キャラクターや家庭環境等の子どもはいませんでした。そこに固定観念は生じないのです。子どもと出会うたびに新鮮な驚きを受けます。
しかし、普遍であるべきだろう事柄もあります。それは、「大人」と「子ども」の関係です。例えば「子どもの目線になって」「子どもの側に立つ」「子どもの気持ちになって」等の言葉を勘違いしてしまい、職員が自分も「子ども」になって、子供たちと関わってしまうことがあります。それは、良いことでしょうか。
子供たちにとってライフサイクルとして捉えた場合、今、必要なこと、それは育まれることです。子育てを受けることです。学問や一般常識、人との関わり方、社会参加等々を学ぶことも挙げられます。また、「生き方」を共に考えていくこともあります。そこに必要なのは信じられる「大人」の存在なのです。大半の子供たちは「大人を信頼することの喪失感」を多かれ少なかれ、措置という制度を受けたときに背負ってしまっている場合もあります。まず、適切な「大人と子ども」の関係を再構築していくことが大切なことです。
児童養護施設で働くあなたへ、例えば、自暴自棄になり非行に走った少年が、ある大人に出会い、あるいはスポーツに出会い、素直さを取り戻していくケースがあることも事実です。そう言う意味では、あなたとの出会いは子供たちにとって人生のキーポイントとなります。
5 子どもの数だけ
日常生活の中では、様々なトラブルが発生します。「~ちゃんが○○を盗った」「~くんがタバコを吸っている。」「~さんがいない。家出したみたい」等々、支援者は、ケースバイケースで対応していきます。しかし、支援者側が統一した対応をしないと、子どもたちが混乱することになり無秩序な状態になる危険性を秘めていることは、容易に予測できます。
また、生活の中では、子どもたちから「罵声を浴びせられる」「唾を吐きかけられる」「暴力で訴えてくる」「窓の外に向かって、悪言、虚言を大声で言う」「何度注意しても同じ事を繰り返す」等々、支援者側に忍耐を強いる出来事が次から次へと降りかかってきます。
更に、「一緒にお風呂に入る」「添え寝をする」「絵本を読んであげる」「失尿失便の処理」等々、スキンシップを行う際、支援者も人間なので生理的嫌悪感を持つ子どももいるでしょうし、それをどう克服していくかなどの課題点も立ちはだかる訳です。
そこで、次の点に気をつけながら各項目について検討を進めましょう。
①入所児○○名の集団生活です。個人を大切にしながら更に集団の秩序を維持できるようにするには、どうしたらよいのか。ルールを守る事と自己主張は対峙する場面があり、それをどう調整するのか。更に中高校生に対して校則と言う基準を支援者側は、どう捉えていくのか。
②基本的生活習慣が未達成の子どもが入所してきた場合、通常は、支援者に躾の姿勢が求められてきますが、心理的アプローチと躾の相反する支援対応を、どう捉えていくのか。
③子どもは、各々の環境の中で常識を身につけていますが、生活環境においては、その常識が時には、社会的生活の不適応要因になっている場合もあります。子ども個々の常識を許容するのか改善に向けての働きかけをしていくのかの基本姿勢が必要です。
④子どもたちに対して、どのような働きかけをしていくのか。心理療法の目的は何なのか。基本理念を明確にしていくことが求められます。
統一した対応が求められる具体的な項目
・髪の脱色等、髪の色。
・マニキュア、口紅等、化粧に関して。
・イヤリング、ネックレス、ブレスレット等、装着品。
・携帯電話、PHS等の所持。
・ラジカセ、ゲーム機、音楽CD等、貴重品。
・おやつ以外の個人のお菓子、ジュースについて。
・小遣いの管理について。
・タバコ、ライター、シンナー、ガス、飲酒等への対応。
・ナイフ、カッター、エアガン等、危険玩具への対応。
・自転車、三輪車は、個人で持ってくるの?
・公衆電話の使用方法。
・外出の時間、範囲等はどうするか。
・物の貸し借り、物をあげた、貰った等のやりとり。
・男女交際について。
・個人の生活行動ペースをどこまで許容するのか。
・テレビの見せ方。
・休前日の就寝時間、休日の起床時間。
・朝シャン(朝の洗髪)、朝シャワーを許容するのか。*光熱水費との駆け引き。
・その他、具体的な検討事項を導き出し一貫性のある支援を導き出してください。
児童養護施設で働くあなたへ、子どもたちとのつきあい方について、マニュアルはありません。マニュアルを作成することは、不可能でしょう。何故なら、子どもたちの中で同一個性を持っている人はいないため、子どもの数だけ対応方法が存在することになります。
だから、日常生活の中で常に対応策を検討していく姿勢が求められます。時には、瞬間的に白か黒か明確にしなければいけない場面に遭遇することもあります。そんな時、慌てなくて良いように普段から職員がチームとして、対応策の検討を重ねておくことが大切です。
6 様々な方法
「今の子どもは、昔の子どもと違うな。すぐ、諦めてしまうし、短気だし、それでいて理屈っぽい。時には、理解に苦しむ言動があるし、対応するのが難しいな。」
このような発言をよく耳にするようになった昨今。児童養護施設においても上述したタイプの子どもたちの中から「対応困難」と言わざるを得ない子どもたちが措置され入所しています。
では、今の子どもと昔の子どもの違いは、何でしょう。
「すぐ、諦めてしまうし、短気だし」
これは、自己指南性が十分に育っていないことを如実に表しています。簡単に言うと、我慢する経験が少なく、充足感を必要以上に味わい、我が儘を受け入れて貰う事が優先され、我慢することを学んでいない子どもたちが増えてきた表れです。我慢できなくなると、極端に表情が変化し、時には、ヒステリックになり、時には物や人に当たる、時には、寡黙になる等、様々な反応を示します。これを子どもたち流の言葉に置き換えると「きれた」と言う表現になりますが、大人たちは、この「きれた」子どもたちに振り回されているのが現状です。
さて、この我慢する力が十分に育まれず大人になり親になったらどうなるのでしょうか。「きれた」状態になった時、最初にその捌け口となるのは、子どもたちでは、ないでしょうか。それが虐待に繋がるだろう危惧は、現在、現実となりつつあります。昔の子どもたちは、大人や年上の命令や指示は勿論のこと、食べ物、おもちゃ、学習用品等々、日々、我慢することの連続でした。諦めも肝心ですが、努力して得ようとするチャレンジスピリッツも育っていました。
「理屈っぽい」
しかし、その理屈には、理路整然とした筋道がなく、時には、理不尽な主張を、それが絶対正しいかの如く、まくし立てる姿も見られます。マスコミや書籍、雑誌等、情報が氾濫し、選別されることなく子どもたちの目や耳に洪水の如く侵入してきます。子どもたちは、その情報のすべてを理解することは、困難であるため、特に目立ったあるいは、自分の好む一部の情報を聞きかじり、それが、子どもたち流の理屈の一部となっているのは、容易に想像できます。また、省略言葉の氾濫も、子どもたちの文章力、論理力に少なからず影響しているようにも感じます。「別に」「関係ない」「バカじゃん」等々、会話しようとしても情け容赦なく子どもたちから話を折ってしまう場面は、大人なら誰もが経験していることでしょう。
昔の子どもたちは、どうでしょう。まず、大人や年上の言うことは絶対的権威がありました。話はもとより、時には、説教を直立不動か姿勢良く座って聞くことが当然であり、大人は、理解しているかどうか必ず復習を求め子どもは、それに答えるよう努めました。このような経験は、理解する力を育て更に、大人としての話の組み立て方や難しい単語までも学習する機会にもなっていました。その上、返事の仕方や言葉遣い、その場に適した答え方までも学ぶことになりました。また、情報は選別され「大人の話だから子どもは、向こうで遊んでいなさい。」と子どもの耳に入れない配慮もされていました。現在と違って子どもたちに入る情報は少なくても、生活や成長に必要な情報が、子どもたちに与えられていました。
子どもたちは、明らかに変化しています。現在では、「昔の子どもは、~だった。」と言う台詞は、死語に近いと言えますが、児童福祉施設の主人公は、子どもたちであり、その子どもたちが変化したならば、児童福祉施設も変化しなければ、ニーズに応じられなくなってしまいます。現実は、その場面に直面していると言えます。児童福祉を支える大人たちが柔軟性を持つ事が必要であり、そうしなければ、子どもたちの変化についていけず、すべての支援が後手に回ると言う、悪循環を引き起こすことになります。
児童福祉の世界では、21世紀に向けて時代のニーズにあった変革が、求められています。
児童養護施設で働くあなたへ、あなたも以前、「きれた」と言う状態を経験したことがありませんか。その時、どのようにして解決しましたか。自己修復しましたか。それとも、身近な大人や友人に諭されましたか。書籍やドキュメンタリー番組や討論会等の視聴で教訓を得ましたか。人は、様々な方法で困難を乗り越えていきます。
あなたの経験も困難を乗り越えるための情報の一つとして活用できます。可能な限り情報を集め、子どもたちに提供していきましょう。
7 真実はそこにある
虐待のタイプで最も認識されやすいのは、身体的虐待です。痣や傷、子どものしぐさ、例えば、大人が手を頭の所へ挙げると、子どもが思わず避けようとするしぐさが代表的です。その他、大人が大きな声で話しかけると極端に萎縮してしまうこともあります。このように身体的虐待は、目に見える形で傷跡を表しており、虐待の事実を認識しやすい状況といえます。
しかし、躾における、いわゆる愛情からくる矯正との境界が判別しにくく、特に保護者の中では、虐待と認識せず躾だと思って体罰を行っているパターンも見受けられます。また、最近のマスコミ発表では、虐待により子どもを死に至らしめた保護者で飲酒をしているパターンが多いと報道されていることから、酔って自制心のない状態で暴力を振るうことが虐待に繋がることもあります。
精神的虐待は、日常生活のちょっとした言動に因るものに、執拗さが加わったパターン、子どもの人格を否定する言動等々が挙げられますが、人は、気持ちが高揚してくると暴力に訴えたり、無視したりのパターンに陥りやすく、それで他虐待タイプと複合する確率が高いため、措置理由としては、認識されにくくても児童養護施設での生活の中で明らかになっていくのです。
他のタイプと明らかに異質の結果が現れたのは、ネグレクトです。児童養護施設への措置理由として多く見られるのが家庭養育困難のためであり、具体的には、保護者の離婚や経済的破綻、親としての自覚が育っていない、保護者の行方不明等々であり、そのような環境の中でネグレクトを受けた可能性が高いだろう事は容易に推測できます。
しかし、気をつけなければいけないことは、それぞれの家庭には、その家庭なりの常識が存在していて、これは、他人が理解できるものではない。例えば、Aと言う子どもの話を聞いて、B職員は、ネグレクトを受けていると認識、しかし、C職員は、そんなこと、どこにでもある話だと聞き流してしまう。このような判断の違いは、大いにあり得るパターンであります。児童養護施設においては、子どもと接している時間が長く日常生活のちょっとした子どもの言動を捉えているため、ネグレクトの発見率が高かったと予想できます。
性的虐待は、表面に出てくることが少ないのが現状です。勿論、性的虐待が極めて異常なケースであり、その存在は少なくあってほしいと望んでいますが、現実に存在が確認されているのは事実です。性的虐待を受けた場合、そのトラウマは、計り知れず、心の奥底にしまい込んでしまおうとする心理状態に落ち込みやすく、被虐待児は秘匿してしまう傾向にあります。
被虐待児は、ほとんどの場合トラウマを負っていることが多く、人格形成のプロセスの中に影響を与えています。特に5~6歳までの時期に虐待を受けている場合、超自我として、その子どもの人生に終生つきまとうことになり、被虐待児は、常に重い十字架を背負っていることになります。そう言う観点から見ると、情緒不安傾向の子どもより被虐待児の方が対応が難しいと考えざるを得ません。
児童養護施設で働くあなたへ、虐待という事実は、被虐待児の主観によるものであり他人の尺度では推し量れません。しかも、年齢による理解力の違いや表現力の違い、トラウマの強度等もあり事実を正確に把握することは困難です。しかし、あなたが虐待を受けた子どもたちとのつきあいの中で感じたこと、真実は、そこにあると、考えられます。
8 施設内虐待の防止
結論は、「人」です。虐待は、人によって行われます。
施設内虐待の場合(精神的身体的暴力)
1.職員が子どもに対して行う場合
絶対あってはいけませんが、職員も完璧な人間ではありませんので感情的な対応をしてしまい、それが習慣化してしまう場合など
2.子ども同士の場合
いじめや大きい子が小さい子に性的いたずら、言動に対しての恐怖感など
3.子どもが職員に対して行う場合
職員自身が子どもによって精神的に追い込まれるなど
職員や子供たちへの人権教育や労働条件の整備、第三者機関の介入など、このようなことは、当たり前に整備しなければいけない事柄であって、見えない部分で行われる虐待については、防ぎようがありません。ですから対策が必要です。
①職員採用システムを整備する。まず、真実に子どもたちを愛せる職員を採用することが重要です。人事採用は、大概は、施設長によって行われますが、例えば採用試験に主任以上の職員に関わって貰うなど、複数の人物評価によって採用判断する方がよろしいでしょう。
②職員間のチームワーク構築。チームワークが構築されていれば、例え、施設内で虐待が行われても自浄作用が働くことでしょうし、互いのフォロー機能が働き、虐待に至る感情面の起伏が軽減されることでしょう。最も危惧することは、職員同士が不信感でぶつかり合っている場合です。
③管理職の監督責任の明確化。職員あるいは、子どもたちから通報を受けた場合に適切に対応する能力が問われます。
④要望解決第三者委員の積極的活用。一応、形は、整っているが結局は、第三者委員が施設に具体的に関わっていないのであれば、意味を成しません。積極的に活動していただけるよう、施設側が活動条件をオープンにする必要があります。
⑤人材育成。「雇用しました。後は、自分で成長しなさい。」は、無責任です。職場として、責任を持って、子どもたちにとって有益な職員の育成を担うべきでしょう。
と言うことで、結局は「人」なのです。
子育てをしたことのない独身者がほとんどの職員構成、これは、何の言い訳にもなりません。要は、職員自身が、適切な常識を有し、大人としての自覚をもち、適切に精神コントロールができ、専門知識を臨機応変応用できれば、施設内虐待のほとんどを防ぐことができることでしょう。しかし、最も大切なことは、子供たちを本当に愛せるかと言うことです。
児童養護施設で働くあなたへ、極論は、愛せないのであれば、施設職員にならないでくださいと言うことになります。また、就職当時は愛せていても初心を忘れてしまい、愛せなくなっている自分を発見した時、それが、修正できないのであれば、潔く退く勇気も必要でしょう。児童福祉施設で最も優先されることは、子どもたちの精神的身体的幸せなのです。
さて、児童養護施設内で子どもも大人も誰一人傷つくことなく生活すること。これが、最大の理想です。
①施設に措置されている現実そのものが大人からの裏切りである。
②家庭環境によっては、疎外感を味わっていた場合もある。
③甘え方が分からない。
④我慢することができない、あるいは我慢しないと生きてこられなかった。
⑤ADHD、LD、自閉傾向等々のハンディを持ち合わせている。
⑥その他たくさん
要は、様々なタイプの子どもたちと共に生活している中で、できることなら「裏切り感」「疎外感」「嫉妬感」等を極力避けていきたいと言う思いが生じてくることでしょう。
9 暴力とは
日本の社会において公に定義されている「暴力」としては、「日本国憲法、第3章 国民の権利及び義務」に反する行為が、それに当たると思います。そして、そこから派生する各種法律によって、公に具体的に定義されているわけです。
と言うのが一般的な回答です。私としては、物理的・精神的に対象を傷つける行為が暴力と思います。対象とは、人は、勿論のこと、動植物や物質全般が含まれ、勿論、自傷行為も暴力の事象の一つと捉えています。しかし、子どもたちに、小難しい話をしても理解や解釈の相違で誤解曲解を招きがちですので、「人が人を傷つけない」「自分がされて嫌なことは他人にしない」と言うことを常に伝えています。勿論、物を大切にすることや動植物を大切にすることも日常生活の中で伝えるよう心がけています。
「暴力」とは、「言葉」あるいは「表現」と表した方が適切でしょうか?しかし、人間の行動や心の中をすべて表現することは困難でしょう。ましてや、意識や自我、超自我など深層心理の領域を表現することは、更に困難でしょう。だから学問として「哲学」が存在するのではないでしょうか?「何故、人を殺してはいけないのか?」この問いかけに対して、様々な人々が回答を表現していますが、絶対的納得を得られないのが、現実なのです。つまり、数学や物理のように「定義づけ」できない。これこそが人間の営みなのではないでしょうか。それを無理矢理定義づけようとしているのが「倫理観」でしょう。私は、職員育成の中で職員たちに伝えていたことの一つに「感覚を身につけましょう」と言うのがあります。子どもたちと生活をする中で「言葉」では「表現」できない事象が次から次へと舞い込んできます。その時、必要なことは「研ぎ澄まされた感覚」なのです。このように書くと、とても難しく感じますが、要は、自然体で子どもたちと接することが重要なのです。「暴力」と比例する言葉として「善悪の区別」も挙げられますし、「何が善くて何が悪いのか」これについても、きっと絶対的納得を得られる回答は、なかなか得られないことでしょう。それでも、私は、いつも「美しきこと善きこと」を求めて生きています。人間の営みは「摩訶不思議」、だから人生は面白いのではないでしょうか。
児童養護施設で働くあなたへ、数学や物理の定義は、唯一の答えを導き出す早道になりますが、人間の営みの一つ一つを定義付けると言うことになると、そこには絶対的な答えはなく、只、統計学的な「定義」が導き出されるだけではないでしょうか。「これは暴力だ」と「表現する人が多い」から「それは暴力なんだ」、正に集団心理の構図そのものです。「定義」そこには危険性が隠されていることも十分認識しましょう。
10 情報開示と提供
1.「利用者」の定義
児童養護施設に於いて「利用者」とは、誰を指すのか。施設入所を選択・決定するのは、保護者であり実質的な「利用者」となりますが、実際の入所者は、児童です。現行の措置制度では、行政庁(措置権者)と保護者が協議の上、施設入所が決定され、行政庁主導のもと児童養護施設に児童が措置されています。そのため、入所に当たって児童は、第三者的立場にあり、「入所したくて入所したのではない」「施設だから叱られる」「ここは嫌だ。出たい」等、現状について否定的考え方に陥る児童が目立つ。勿論、そのような児童ばかりではありませんが、サービスを提供している児童養護施設と、そのサービスを受けている入所児童との間に精神的隔たりが生じやすいのは事実です。その隔たりを少しでも埋めていく努力として、私たちは、児童に対して情報開示と情報提供に努めています。只、児童に対する情報開示は、年齢に応じた情報操作が必要であり、また、実質的には、生活に関する情報が大半です。
従って、利用者(保護者)・入所児童との二つの観点から記述し、入所希望者については、保護者、児童のペアとして捉えていきます。
2.入所児童の場合
入所児童に対しての情報開示と情報提供は、前述したとおり児童の個性に応じた配慮を前提として行われます。また、QOL(生活の質)を高めるための支援を心がけながら日々、職員と児童は向き合って生活します。
QOL(生活の質)は、「生命の質」「人格の質」「人生の質」「生活の質」「魂の質」と大きく5つの項目に分けられます。「生活の質」については、更に「人間関係の質」「空間の質」「時間の質」「社会保障の質」と4つの項目が含まれています。
生命の質
児童一人一人の生命を尊重した支援ですが、防災訓練、交通ルールの学習等を通じ生命を守ることの大切さ、植物を育てる、動物を育てる中で共存することの大切さ、生命を傷つけてはいけないとの倫理観を普段の生活の中で機会を捉えて伝えていきます。
人格の質
プライバシーの尊重等、個人として尊重された生活を保障していますが、集団生活の中では、プライバシー的空間があやふやになりやすく、特に上級学年になると不満が生じやすく、職員は、物理的・精神的に可能な限り配慮します。また、人権教育が学校教育の中で行われており、時には、食事時等の会話の中に織り交ぜたりします。児童の権利と義務についても機会があるたびに伝え、その他、人格形成上、必要と思われる体験等を推奨します。(行事・クラブ活動・アルバイト等)
人生の質
児童の現在をライフサイクルの中で捉え、今、求められる支援を模索しながら行っています。各グループの代表児童が集まって開催される代表者会議を通じ園生活を有意義に過ごせるよう話合いを行う、学校の長期休み前後に全児童が集まって児童会を開催し休み中の過ごし方や新学期に向けての目標等を話し合う機会。人生を楽しむための体験として、各種行事参加(地域行事・園行事・学校行事・招待行事他)への参加を推奨します。また、幼児期・少年期に行われる躾も人生の質に関わってくると考えられます。進路問題が浮上してくると、その情報とそれに伴う個別学習を実施したり、卒園前には、役所等届出の実際を体験したりしながら自分で将来設計できるよう支援し、そのために必要な経験ができるよう配慮します。
生活の質
生活とは、様々な人との関わりの中で成立しています。それは、離れて生活している家族であり、園の職員や仲間の子どもたち、地域や学校の人々等であり、常に誰かと関わっています。これら人間関係を温かく保持していく力を育んでいけるよう、まず職員が人としての生き方、人との関わり方を普段の生活の中で見本として示し、児童が人間関係で躓いたときは、その都度アドバイスします。その他、スポーツ練習やボランティアとの関わり、買物、友人の家に遊びに行く等、人間関係に幅ができるよう支援します。家庭生活体験事業等を積極的に活用していることも補足しておきましょう。
生活する空間を清潔に保つことは、大切であり基本的生活習慣の確立を取り組む中で伝えていきます。自分たちの生活している空間を知ることも必要であり、創立記念日に、園の成り立ち等の話をしたり等もあるでしょう。また、学校や地域社会等を総称すると社会と言うことになりますが、社会生活に必要な情報を臨機応変伝えていくことによって、生活空間を活用していけるよう支援します。
有意義に生活していくために、どのように生活時間を配分した方がよいのか、余暇の時間に楽しんで熱中できる何かがあるか等、時間の使い方は大切であり、児童との関わりの中でアドバイスをします。職員の配慮の一つとして、各種行事等のプリント配布又は掲示をし、いつ・どこで・何があるとの情報を確実に児童に提供するようにします。
憲法第二十五条における社会保障は、生活の質の基本として存在し、職員は、常に念頭に置き日々の支援を行っていきます。
ここまでで、記述できなかったその他の支援として、通院終了後、病状等を児童に説明する、経済観念(お金の使い方・物の取扱い)を育てる・水道光熱費の内訳を公表・修理メンテナンスを児童の目前で行い方法等を教える等々があります。
魂の質
生きる目的、人間の存在理由、魂の根源について児童が各自の個性に応じて何かを掴み取ってほしいと日々願っています。
3.入所希望者の場合
児童養護施設の存在を知らない人々が多く、知っていても「かわいそうな子どもや悪いことをした子どもが入所している」「規律が厳しい」「不自由な生活を強いられている」等々、誤解がある場合があります。そこで、まず、児童養護施設の啓発が必要であり、地域の方へ建物・グランド等を解放し利用していただく取り組み。また、関係機関等へ園のパンフレット・紹介ビデオ・園便り等を配布、見学希望者も積極的に受け入れます。
入所希望者は、児童相談所での相談内容によって児童養護施設への入所が適当であるとされると、措置への手続が始まりますが、現行の制度では、ほとんどの場合、措置決定前後に児童相談所を通じて入所希望者が見学に来られる場合が多い。そこでは、パンフレットの配布や園の概略説明、敷地内の見学が行われます。そして、入所時にオリエンテーションを行います。確かに、園としての情報開示は行われていますが、それ以上に保護者から入所児童に関する情報を提供していただく場合の方が多く、保護者の中では、利用するという意識より、預かって貰うと言う意識の方が先行してしまうケースが目立ちます。
4.利用者(保護者)の場合
我が子が「どのような生活をし、どのようなサービスを受けているのか」保護者から情報を求めてくるケースは、少ないのが現実です。また、情報開示・情報提供の機会が、面会時・帰省時に来園された時、あるいは、電話でのやりとり、反社会的・非社会的行動不適応が生じた時と少なく、今後、措置から契約へと変換していく上での大きな課題点となっています。
5.今後に向けての課題
利用者(保護者)への情報開示と情報提供が明らかに不足しているのが現状です。特に施設運営に関することやサービスの内容と報告が挙げられますが、これは、例えば、現在発行している園便りを活用できます。現在は、保護者への配布は行っていませんが、内容としては、児童の生活の様子や福祉の最新情報等織り込まれており、個人や団体の支援者も紹介しています。
今後は、更に事業計画書・事業報告書・経営状況等を情報として加えていき、利用者(保護者)へも配布していくことが望まれます。可能であれば、教育実習生・ボランティアの方々の協力を得て、園のサービス状況に関するアンケートに客観的視点で記入していただき、その結果を真摯に受け止め、その集計結果を公表していく勇気も必要でしょう。
情報は、開示すれば良いと言うことではありません。「見ない・聞かない」人には、伝わらないし活用されないからです。情報は、積極的に提供していく必要があります。特に児童養護施設を利用する保護者は「子どもを預けている」との罪悪感を抱く場合があり、児童養護施設や児童相談所に対して受動的になりやすい。園便りは勿論、機会を捉えて配布プリントを提供する、保護者会や保護者を交えての行事を計画していくことも検討していく必要があります。
入所希望者に対しては、体験入所の受け入れ態勢づくりを検討していく。「百聞は一見にしかず」体験していただくことが一番の情報提供です。そのことを通して、入所児童も施設選択に加わることができると言うメリットも生まれます。また、情報の開示と提供に漏れがないように、内容をマニュアル化しておくことも重要です。
その他、不特定多数への情報開示として、ホームページの開設も挙げられます。インターネットを通して情報を発信していく、勿論、それを開いてくれる人がいなければ意味がないように感じられますが、大切なことは、サービス情報を自信を持って発信していくと言う姿勢なのです。
◇おわりに
今後は、措置から契約の時代へと変わっていきますが、その中で児童養護施設は、意識の改革が求められます。例えば、知的障害者福祉においては、訓練から援助、援助から支援、支援からサービスへと意識の変換が行われ、精神薄弱者から知的障害者、授産施設から社会就労センターへと用語問題もクローズアップされてきました。しかし、児童養護の世界では、どうしても養育という意識が先行してしまう傾向が見られます。養育からサービスへ、このギャップは大きくクリアしていかなければいけない課題は山積していると言えます。研修会や研究会、あるいは、講演会のテーマとして取り上げ、より多くの関係者が今後に向けて検討、討論していくことが望まれます。その中で必ず、情報開示や情報提供の課題点が明確になってくることでしょう。
児童養護施設で働くあなたへ、あなたの職場は閉鎖的ではありませんか。子どもたちに対しても、職員に対しても、保護者や地域に対しても、ガラス張りの運営を行っているでしょうか。また、運営者は、職員のあなたに情報開示を行っているのに、あなた自身が耳で聞いても記憶しない、あるいは、文書が配布されても読んでいない。書類整理を怠っているので、その文書が所在不明になり、再読することはない。と言う状態に陥っていませんか。
子どもたちへの支援を高めていくためには、情報を得て、その情報を発展させていくことが大切です。
11 与えつづける愛
現代の児童養護施設では、血縁関係が0の児童は確かに減少傾向にあります。しかし、保護者の行方不明、虐待家庭分離等で、血縁関係があっても関わりがないに等しい児童は、存在します。そのような、特殊な環境を除くとほとんどの場合、家族とのコンタクトは成立しています。ただし、そのコンタクトの量的質的状況は、家族の愛の持ち方で左右されているのが現実です。時には、子どもの財産管理が絡み、愛ではなく財産が目的で関わりを継続している例も数少ない事例として挙げられることでしょう。
家庭復帰のための措置解除も勿論あります。施設運営としては、児童が措置解除されると運営費に大きく響くので大変ですが、家庭復帰可能な児童は、積極的にその旨、児童相談所に報告します。何故なら、子どもは、社会の基本である家庭で育つのが一番だと思っているからです。
行方不明だった実親が突然、所在が明らかになることがあります。それは、ほとんどの場合は、親自らが姿を現すのですが、時には、追跡調査によって判明することもあります。まず、親に子どもと会う気持ちがあるかどうか意思確認をし、その次ぎに、子ども本人に、会う気持ちがあるかどうかの意思確認をします。双方の意志が合致したとき、面会の段取りへと進めます。このような事例も児童養護施設の現場では、希ではありますが、あることも事実です。
児童養護施設から社会に出て行く子どもたちは、不利な状況にあります。まず、保護者の庇護がないため、社員寮のある会社を選択しなければいけないので就職戦線においての選択肢が狭まってしまいます。社会で起きる様々な困難に対して、一人で乗り切っていかなければなりません。そのような現実的な話を高校生にあえてします。それは、社会に旅立ったとき、自分の人生を自ら切り開いてほしいとの期待があるからです。劣等感や喪失感などの(ー)要因を(+)思考へと転換するきっかけを施設職員は、提供する必要があるのです。
制度が未成熟だから、子どもたちは、不幸な目にあっているのではとの短絡的な見方は、非常に危険です。子どもたちは、今、そこに生きているのです。要は、その子供たちを育んでいる環境に、子供たちを愛している大人たちがどれだけいて、どれだけ愛を与えているかに架かっています。
児童養護施設で働くあなたへ、子どもたちにとって一番必要なことは「愛」です。大人たちがどれだけ子どもたちを愛し、愛を注げるかが大切なのです。その事を通して、子どもたちは大人たちを信じることができ、心や情緒の安定へと繋がっていくのです。
支援者の意識の持ち方として、英語のラブからギリシャ語のアガペーへと昇華できれば最高です。ちなみにアガペーとは、「無条件の無私の愛」「与えつづける愛」「見返りを求めない愛」などと解釈できると思います。これは、仏教で言う「慈愛」と共通するものがあります。自分の意志や思いを発言する力を育むことは、とても大切なことです。受動的ではなく能動的に自分の立場や生き方を構築していくことが求められます。それが、可能となるようチャンスを与えていくことが大人たちの役割でしょう。
12 幼児との信頼関係
乳児院からの措置変更で児童養護施設に入所した児童は、愛着の持って行き場に混乱し、様々な行動パターンを表すことが多く、それは、大人との信頼関係や新しい場面への耐性が、まだ未成熟であるが故の混乱です。
そのため、先輩保育士の皆さんは、入所してから暫くの間、長いときには何ヶ月も自分との信頼関係構築の為に、休みの日も一緒に過ごす等の取り組みを行って来られています。ここには、就業時間を超えた、愛情或いは児童福祉への意欲・責任感・使命感等が裏打ちされていることでしょう。
さて、子どもたちの柔軟性は、大人の予測を遙かに超えています。「ついこの間まで大人から離れないようにしていたのに、今では目を離すと何をしでかしているか分からないわ。」と、いつの間にか、興味・冒険心等が芽生えてきている子どもたちの姿に遭遇します。また、信頼関係も担当保育士以外の保育士や年長の子どもたちへと拡がっていきます。
その様な子どもたちの成長による変化予測を考慮に入れながら、児童支援計画を立て、目標に向かって段階的に子育て支援を進めていくことが大切です。
子どもの情況に振り回されるのではなく、如何に子どもたちがよりよい成長を遂げられるかを念頭に置き、時には、大人がコントロールし、時には、子どもの自由表現を認めながら子育てを進めていきましょう。
子どもは、何故泣くのか?簡単です。不快だから泣くのです。その「不快」の原因を共感し、時には取り除き、時には耐えさせるなど、臨機応変の対応が求められます。
気をつけなければいけないのは、「泣いている」→「大変だ、どうしましょう」→「とにかく、泣きやんで欲しい」→「泣いているから他のことは何も出来ない」、この様なパターンに陥らないようにすることでしょう。
例えば、「トイレ以外でおしっこをする」と言う事象に対しては、善悪の区別を教育するために「叱る」事は、必要です。ただし、それで終わっては、専門性がありません。まず、おしっこをする原因を探ります。その原因が、
①精神的な疾患なのか?
②自閉的傾向のこだわりなのか?
③甘えの表現なのか?
①の場合は、勿論、医師の診断が必要になりますので、診療を受ける段取りをとります。 ②の場合は、自閉症の専門書は、たくさんありますので、専門書を幾つか調べ、対応策を導き出していきます。そして、取り組みを行い、それでも改善が見込めない場合は、心療内科等への診療を試みます。
③の場合は、職員がチームとして、対応策を構築していきます。担当者だけでは、解決できない場合がほとんどだからです。基本的信頼関係が未成熟の場合、甘えの表現が偏ってしまう場合が多々あり、基本的信頼関係の修復をどのような形で行っていくのか、ディスカッションしていくことが専門家として求められます。ディスカッションでは、ブレーンストーミング、KJ法、福祉QC的手法等を用いれば良いでしょう。
チームとしての対応とは、例えば、叱る人とフォローする人(担当者がベスト)の役割分担を行う事等が挙げられます。
まずは、「今、あなたを(危険から)守っているのは、私なのよ」と子どもに分かってもらう働きかけが大切です。また、周囲の子どもたちの理解と協力も大切な要素の一つです。相乗効果によって児童養護施設全体が「甘え表出状態」になると、生活が落ち着かなくなりますので、「新しい子は、とても不安なのよ。だから暫くは、例えば1ヶ月位は、みんなで新しい子を優しく見守っていきましょうね。この子が園の生活に慣れるまでは、私は、みんなより多く関わると思うけれど、ちょっとだけ我慢してね。」など、一緒に生活をしているみんなが家族の一員として、新しい家族を迎え入れる優しい気持ちを引き出せるよう語りかけることも重要でしょうね。
児童養護施設で働くあなたへ、子どもたちが示す、殆どの正しくない行動は、愛されたいとか、安定感が欲しいと思う、子どもの欲求からくるのです。その結果、子どもは傷つき、怒り、不安定になるのですが、よい保育士は、この間違った行動をした子どもに対しても、正しい愛情と安定感を与えなければいけません。子どもは自分の間違った行動にも関わらず、愛されているいう確信が欲しいのです。それから保育士は、その時、子どもを傷つけ、怒らせ、不安にさせた原因を見いだす必要があります。もし、最終的に罰を与えるとしても、子どもを理解した上で与え、更に子どもにも納得させることによって初めて与えるべきです。このように、よい躾によって子どもは育てられ一人の人間として成長するのです。
13 ノーマライゼーション
各家庭は、それぞれの常識の中で日々の生活を営んでいます。児童養護施設には、そのような様々な家庭で育ってきた子どもたちがいます。つまり、たくさんの常識が交錯する世界なのです。そこには、ある程度、共通した常識が必要になってきます。それがルールの形成となり秩序を生むのですが、必要以上のルールは、束縛に繋がります。
つまり、バランスが求められるわけです。そのバランスの先には、子どもたちがいかにノーマルに成長を遂げていくことができるかになります。
例えば、「高校生○○君が友人の家に週末泊まりに行きたいと言っていますが、どう対応したら良いですか?」との同僚職員からの問い合わせがあったとします。さて、あなたは、どう回答しますか。
①そのような事例がないから、許可したらダメだよ。
②友人の家でタバコを吸ったり、飲酒したりすることが予想できるからダメだよ。
③何か事故があった時、園として責任がとれないからダメだよ。
など、「ダメだよ」論法を振りかざしますか。それがノーマルな対応と思いますか。きっと違うでしょうね。
①何時、どの友人のお宅に泊まりに行くの。
②何時、帰宅する予定なの。
③相手のお宅の方に「宜しくお願いします」と電話するから、連絡先を教えて。
④高校生としての自覚を持って、未成年者がやってはいけないことはやらないでね。信じているわよ。
このような対応は、どうでしょう。高校生の友人関係では、友人宅に集うことも、それ程、特別な状況ではないでしょう。「ダメだよ」ではなく、その希望を叶えるためには、このようなやりとりが、大人と子どもの間で必要なのよと方法を伝えることがよりノーマルではないでしょうか。
「施設だからできない、許されない」を一つ一つ無くしていく大人側の気持ちの切替えが求められています。
家庭において、拒食や不眠で悩んでいる家族がいたとき、どうするでしょう。ほとんどの場合、専門家、つまり心療科等のクリニックに相談に行くことでしょう。児童養護施設は、いかに家庭に近づけていくかが大切なのです。それが、ノーマライゼーション的な考え方でしょう。
ところが、「心療科」「精神科」等の単語を聞くと拒否反応を示す家庭や児童養護施設があること、これもまた、現実です。そのような場合は、児童相談所に相談することができます。児童相談所には、常駐で心理療法士がいますし、精神科医も非常勤でおられる筈です。特に心理療法士の場合は、児童一人一人に担当者がおりますので、お問い合わせをすると良いでしょう。
児童養護施設で働くあなたへ、「関係機関との連携」と言うのがありますが、児童相談所(福祉)、学校(教育)との連携は勿論のこと、病院(医療)との連携も大切です。
まず、児相との連携では、ケースワーカーを中心に連絡調整を行いますが、児童担当者は、児相の担当者を把握しており、何かあったら必ず連絡をし、時には、ケース検討会を児相にて持つこともあります。また、3か月毎に自立支援まとめを提出していきます。
学校との連携では、小学校とは月1回、中学校とは学期に1回の懇談会を定例化していくことが大切です。勿論、担当者を中心に常に学校教師との連絡調整を怠らないようにしましょう。医療との連携では、児相の機能活用は勿論のこと、クリニック等を利用しているケースもあります。分からないことは、素直に専門家に助言を求める姿勢を大切にしましょう。ただし、医療機関を利用する場合、保護者又は、それに代わる立場の方がいるご家庭には、ご説明し、ご理解を得るようにしておくことが必要です。
14 手間を惜しまない
働く職員が替わると言うことは、時には、大きな変化をもたらすことがあります。
ベテランの栄養士がいました。この栄養士のこだわりは、手作りの料理であることです。冷凍食品は、一切使用せずに、調理員に調理を頼んでいました。手間がかかりますので調理員も大変ですが、栄養士の人柄に敬意を持っていましたので、時間に追われながらも、手抜き無しの調理を毎日行っていました。
食器は、少しずつ、陶磁器へと変えていくなどの工夫を重ね、家庭的な料理を提供する努力を怠ることはありませんでした。
その栄養士が定年を迎え、職員が替わることになります。それが、男性の栄養士でした。元一流ホテルレストランのシェフです。この方は、料理人として頑張っていましたが、福祉の世界で利用者の方に美味しい料理を食べていただきたいと言う夢を抱き、それを実現するために栄養士の学校に行き、卒業しました。明らかに収入は、激減しますが、自分の夢を求め福祉の世界にやってきました。
栄養士は、女性との先入観があり、全職員が戸惑いました。調理員が、それ以上に戸惑ったのは、冷凍食品が入荷してきた時でした。それは、正に信じられない出来事で、その冷凍職員を調理する自分たちに嫌悪感すら覚えたことでしょう。最初の頃は、調理員が情報を発し、全職員に伝わり、不満の嵐が吹き荒れました。
栄養士は、勿論、そのことを感じ取っています。どちらかと言うと、それは、想定内の反応だったのです。
栄養士が提示する調理は、以前の手作り料理時代より、時間を要するメニューでした。冷凍食品を使用しているのに、何故、時間がかかるのか、それは、冷凍食品に必ず、一手間も二手間も掛けるからです。見栄え、香り、味、食べやすさの要素を常に最適なものへと導いていく天才でした。勿論、冷凍食品だけで全ての献立が構成されるわけではありません。手作り料理も数多く、採用しています。そのことを通して、メニューの幅が格段に拡大し、利用者も職員も様々な料理を楽しむことができるようになりました。誕生日の人には、好きなメニューを聞いて、それを献立に取り入れたり、プレート皿を導入して、時には、ランチと言う表現が似合う料理を提供するなど、様々な工夫がなされました。調理員は、最初は、冷凍食品に対する反発、次に料理の手間がかかることに対して反発、それを乗り越えて、栄養士と調理員の奏でるハーモニーに調和が生まれました。
栄養士のポリシーは、とにかく、たくさんの美味しい料理を経験して欲しい、その中から自分の好みの料理や嫌いな料理を感じ取って欲しいでした。また、食事を楽しい時間にして欲しいと言う願いがこもっていました。栄養士は、食事の時間、必ず、食べている利用者の席をまわり、話しかけていました。「美味しい」と言われるとにっこりし、「不味い」と言われると、「へぇ、どれが美味しくないのですか」と情報収集です。美味しい料理を食べていただき、笑顔に繋がって欲しい、そのことを達成するための手間は、惜しまない、そんな栄養士でした。
児童養護施設で働くあなたへ、あなたは、自分の仕事に対して信念を持っていますか、そして、その信念を達成するために工夫をしていますか、努力をしていますか、その姿勢が大切なのです。例え、最初は、拒否や否定をされても、一貫した姿勢を示していけば、必ず、子どもたちや同僚職員の理解を得られると信じています。
15 時間と空間の解放
児童養護施設で働く職員は、給与(報酬)だけが、全てではありません。また、上司や同僚から良い評価を受けることが全てではありません。児童養護施設で働く職員にとっての、最も素晴らしく価値のある報酬は、子どもたちがあなたを信頼し、あなたを愛し、あなたに感謝の気持ちを抱いてくれることです。そして、それは、生半可な気持ちで、子どもたちと接していても得られるものではありません。それを得るためには、子どもたちと真剣に向き合うことが大切です。真剣に向き合うためには、時間や空間に縛られず、子どもたちの想いを、どこまで受け止めるかに掛かっています。では、時間や空間に縛られるとは、どの様なことでしょう。
時間は、子どもたちと共に過ごす時間に他なりません。一週間を時間に換算すると168時間ですが、労基法厳守の場合、一週間40時間だけしか、子どもたちと接する時間はありません。つまり、率で換算すると一週間の23%だけが、子どもたちとあなたに与えられた時間になります。時間に縛られるとは、その23%に縛られると言うことです。その23%の中には、子どもたちが学校や幼稚園に行っている時間も含まれますので、正確には、もっと率が下がります。あなたは、23%の時間に縛られて、子どもたちからの信頼を得ることが出来るでしょうか。この23%を一年で換算すると365日中84日分になります。落ち着いて、子どもたちの側に立って、子どもたちの視線に合わせて考えてみましょう。一年間の内、たった84日分だけ関わってくれる大人に対して、どれだけの親近感が湧くでしょう。どれだけの信頼感を抱くことが出来るでしょう。非常に難しく困難な課題です。「君のことをいつも考えているよ。君を心配しているんだ。」と言う台詞に、どれだけの真実みを子どもたちに与えることが出来るでしょう。子どもたちと真剣に向き合うためには、或いは、子どもたちと時間を共有するためには、時間に縛られている自分を解放する勇気が必要です。そこには、給与や他人からの評価は、何の意味もなしません。ただ、あなたと子どもたちの関係だけが全てになるのです。
空間は、あなたの居場所です。子どもたちと共に過ごす空間が、あなたの最大の居場所なのか、プライベートな空間が最大の居場所なのか。あなたのライフサイクルの今、どちらの空間が、優先的に占められているのかが問われます。子どもたちは、敏感です。自分と共に過ごす空間が、2番目の場所なんだと察すれば、それだけで、あなたに対する親近感は、脆くも崩れていくでしょう。子どもたちは、愛情に対して、或いは、自分への注目度に対して貪欲に欲してきます。その子どもたちの気持ちに、どこまで応えることが出来るのかが、あなたに求められています。
時間や空間に縛られていたら、子どもたちの心の扉にノックすることは出来るかも知れませんが、ドアは閉じたままかも知れません。心の扉を子ども自らが開けるためには、あなたが時間や空間に縛られずに、心から子どもたちの気持ちに共感する姿勢が必要です。「あぁ、この人の前だったら自分を開放できる」と、子どもたちが、あなたに対して思ったとき、それは、何にも代え難い、あなたへの報酬になります。
さて、ここまでの文章を、空想的な理想論と捉えるか、その通りだよねと共感するかで、あなたの児童養護施設職員としての立ち位置が決まってきます。子どもたちとあなたとの関係は、他人が、その筋道を導いてくれる内容ではありません。あなた自身が、子どもたちと、どの様に向き合うかが全てです。つまり、時間と空間に縛られる自分を選ぶのか、時間と空間から解放された自分を選ぶのか、あなた自身が葛藤の末、決定しなければいけません。
児童養護施設で働くと言うことは、人格と人格のふれあいが中心であって、企業で言う利益は、子どもたちとの信頼関係に他なりません。その信頼関係があって初めて、子どもたちを自立へと導いていけます。最大の目標は、子どもたちが社会に自立していったとき、生き生きと、人生をエンジョイしてくれることです。その目標に向けて、あなたは、あなたの青春の時間を、どれだけ提供することが出来ますか。
人生は、たった一度だけ、時間は、情け容赦なく過ぎていき、年齢を重ねていきます。あなたが紡いでいく歴史の中に、子どもたちと共に生きる瞬間が、深く刻まれていくことを願っています。
16 共に生きるの精神
みなさんは、子どもたちと「共に生きている」と常に実感していますか?
①それは、どんな時、実感しますか。
②実感するために、何か工夫をしていますか。
③「共に生きること」は良いことですか。それとも、きつい仕事と言うイメージが先行し、それどころではないですか。
「共に生きる」とは、どんなことですか?
①衣食住を共にする。
②労働を共にし、一緒に汗を流す。
③喜怒哀楽を共感し合う。
④子どもたちの親の代替者として、本気で関わる。
「共に生きる」とは、子どもたちと一緒に生活をして、子どもたちに与える経験を一緒に乗り越え、喜怒哀楽を分かち合い、疑似家族を形成していくことではないでしょうか。その中で、職員は、ある時は、母親や父親であり、ある時は、姉であり兄である。ある時は、良き指導者であり教官であることが望まれます。
「共に生きる」の精神は、現代でも生かしていけますか?
①労働基準法で労働者としての権利が守られている。
②週40時間、一日8時間の勤務。
③子どもたちのタイプが多様すぎて、その対応がストレスになってしまう。
④日常業務だけでも大変なのに行事等があると業務負担となり、仕事に対して義務感が募る。
⑤子ども同士のトラブル等に対して、「子どもが悪い」と思ってしまい、自分の支援方法について振り返る余裕がない。
⑥子どもと一緒に「これから、こうしよう、こうありたいね。」等の未来に向けての目標作りをする余裕がない。
⑦休みの日は、子どもたちとの関わりは勘弁してと思ってしまう。
⑧朝、「ああ、今日も仕事がはじまる。」と悲観的になってしまう。
⑨子どもが悪いこと等のトラブルを起こしたとき、担当者ではなく、その時の勤務職員が対応する。
⑩疑似家族、「勘弁してよ」仕事だからやっているのよ。「どうせ、子どもたちは、私のことを心から信頼してくれないし、私も母や父の代わりなんて務まらないわ。」と考えてしまう。
⑪「職員は、子どもたちにとって大人の見本になりなさい。」→「これも勘弁してよ、自分はそんな器ではない」と思ってしまう。
日本の社会福祉事業は、「奉仕の心」に支えられ発展してきました。先達者たちは、自分の生活や青春を犠牲にして、尤も当時は、犠牲と考えず使命と考えてやっていました。しかし、それは、現代において、よほど、使命感のある人でないと同じようには出来ないでしょう。当時と現代では、ハングリー度や危機感が大きく違うことも要因の一つと捉えられます。
17 子どもの行動特性
「もしも」を考えてみましょう。
①「もしも」基本的信頼関係の基礎を得る乳児期に「産みたくて産んだんじゃない」と母親が思っていたら。ネグレクトや身体的虐待を行っていたら。
②「もしも」基本的生活習慣の基礎作りである幼児期前期に、ネグレクトや身体的虐待を行っていたら。特にこの時期は、社会性の基盤作りの時期でもあります。また、衛生観念も育まれます。
③「もしも」善悪の区別を学ぶ基礎になる幼児期後期に、ネグレクトや身体的虐待を行っていたら。特にこの時期は、論理性などの基盤作りの時期でもあります。また、自己指南性も育まれます。
さて、自分の担当児童の生育歴を復習してみてください。発達段階で阻害された時期が見あたりますか?
もし、発達阻害を発見した場合、どのような養育方針を立てますか?
今、担当児童で幼児を持っていた場合、発達段階に応じた支援方針を立てていますか? この様なことを、一つ一つチェックしていくことが、私たちの専門性です。
18 後輩の育成
子どもたちへの対応についても、偏った視点で判断していては、子どもにとっても良くありませんし、職員間のチームワークも崩れてしまいます。一つの事象があれば、様々な角度の視点を集約し、考察し、最善の方法を導き出していく作業が必要です。勿論、どんな判断を下しても、相手は、人格を持った人間ですから、その後の影響は予測できませんので、場合によっては失敗すると言うリスクを背負っていることになります。
私たちの子育てが一般家庭と異なることの一つに半永久的な子育てと言うことが挙げられます。一般的な子育てでは、子どもたちは、一つ一つ年齢を重ねていきますが、児童養護施設に於いては、例えば、10歳の子どもの子育てが終わっても、また、10歳の子どもが措置されてくることは、良くあることです。
そこで、職員が長く働いているかどうかで中堅以上の職員の存在が重要になってきます。子育て技術の連鎖が確実に若い職員に伝わっていけば、児童養護施設の子育て能力はアップしていくことでしょう。
ところが、ご承知の通り、同じ施設に3年後訪問したら半数以上の職員が変わっていたなどの現象は、現代でも多いものです。また、職員が後輩を育成するとの意識がなければ、子育て能力はアップするどころかダウンしてしまいます。
つまり、職員が長く働ける職場作りと言うことも、大切な視点なのです。子どもたちが児童養護施設から旅立ち、3~4年後に里帰りで帰ってきたけれど自分を担当してくれた職員は辞職していないのであれば、子どもにとっては寂しいものです。あるいは帰りづらくなるものです。結局、一番の犠牲者は、子どもたちになります。
間違いを見つけることは比較的簡単ですが、正しいことを選択することは、非常にデリケートで難しいものです。だからこそ、決して偏った判断をしてはいけないのです。
19 職員の精神的ケア
児童養護施設に於いても「心理療法事業」の申請がスタートし、現在、心理療法士を配置している児童養護施設も少なくありません。つまり、昨今は、子どもたちへの心理的ケアとして専門のセラピストが関わっていることは事実です。
しかし、セラピーと言うものはスパンの長い取り組みであってセラピーを受けたから劇的に子どもの状況が変化すると言ったことはありません。大切なことは、セラピストと児童担当者が少なくとも月1回は面談することです。その中で見えてきた事柄を実践の中で生かすことによって初めて、子どもたちの利益に繋がっていきます。
ところで、現在求められていることの一つとして、職員の精神的ケアが挙げられます。職員が「平静さを保つ」ことは、よっぽどの精神力が備わっていないと困難だからです。職員も普通の人間ですから、喜怒哀楽は勿論のこと時には、落ち込んだり、ヒステリックになったり、調子に乗ったりなど、様々な情態が見え隠れします。そのような職員の精神的ケアを担う存在が現場では求められています。
理想の労働環境について、条件を整えること、これは、労働基準法で定められていますので、当然やらなければいけないことです。
20 自立のための準備
中学3年生や高校生には、社会自立について、現実的な話をしていきます。では、具体的にどのような話をするのか。私が子どもたちに伝えてきたことを参考までに記します。
中学卒業学歴の不利
現代社会において、高校への進学率は、90%を超えており、10人の内、9名は、高校に行っています。また、大学進学率も50%近くになり、高校生の約半数は、短大や大学に進学しています。更に専門学校に行っている人もたくさんいます。
大卒者や専門学校卒、高卒者でさえも、就職は、大変なことで、その中で、目標に向かって頑張った人が、自分の思い描いた職業に就くことができます。そんな中、中卒者は、就職の幅が狭められ、フリーター(アルバイト)で生きていくしか方法がない人もたくさんいます。フリーターは、大半が低賃金であり、貧しい生活になりがちです。
さて、あなたは、中卒を選びますか?中卒を選んだ場合、本当に、一人で生きていくことができますか?大人は、「高校に行きなさい」と勧めますが、それは、あなたのことを心配しているからです。児童養護施設をでたら、大人は、あなたを手助けすることはほとんどできないでしょう。だからこそ、あと3年間、あなたを見守り、自立できるよう、手助けをしたいのです。
しかし、高校進学は、結局は、あなたが決めることです。十分に考え、悩み、自分の目標を設定し、「進学しません」「進学します」をはっきりと決めることが大切です。そして、一度、決めたら、高校卒業まで児童養護施設で頑張るとの固い意志を持つ必要があります。と言うのは、児童養護施設での生活と、自分の周囲の友人たちの生活には、大きな違いがあり、友人たちの生活を羨ましく思ったり、自分の生活がとても不幸に思えたりなどする場合もあるからです。
また、大人に注意されると、「児童養護施設にいなかったら、注意されないのに」と勘違いしたりします。考えてみてください。注意もしてくれない、叱ってもくれない、一緒に笑ったり、泣いたりもしてくれない。そんな大人たちで良いのですか。自分にとって、悪い時もあれば、良い時もあります。それが、生きている証しです。
高校生として
高校生は、社会に自立していくための準備の期間でもあります。児童養護施設の中でも、今までのように子ども扱いされることは、少なくなることでしょう。つまり、大人と子どもの中間の存在として、認められるわけです。学校生活は、学校でのルールを守り、卒業できるように、最低限の勉強は必要です。これは、当たり前のことですね。
児童養護施設の中では、あなたが望もうと望むまいと、リーダー的役割が回ってきます。小さい子どもたちの面倒を見たり、大人のお手伝いを求められたりなどなどがあります。大切なことは、何をすれば、他人が喜ぶかを学ぶことです。それは、社会に出たとき、他の人に嫌われる存在ではなく、好かれる存在となり、楽しい人生を切り開くことに繋がることでしょう。
あなたの生活は支えられている
現実は、あなたの生活は、多くの人たちに支えられて成り立っています。児童養護施設に入ってくるお金は、すべて、措置費(税金)や寄附金です。つまり、たくさんの人たちから集めているお金や、心優しい人からのお金によって成り立っています。
だからといって、「常に感謝していなさい」とは、言いません。あなたに望むことは、自立し社会に旅立って社会人として幸せな生活を送ってほしいと言うことです。
そのために、あなたが児童養護施設で生活している間は、あなたにとって嫌なことを言ったりすることもあるでしょう。それは、あなたが悪いときもあり、大人が悪いときもあるでしょう。そんなときは、とことん話し合いましょう。そして、解決していきましょう。
児童養護施設で働くあなたへ、高校生になると人格形成のターニングポイントに入ります。この時代に培われた人格あるいは人間性は、子どもたちの人生に大きく影響します。放任するのが養育ではありません。例え、反抗期でも、とことん子どもたちに関わることが必要です。その瞬間は、あなたは、子どもたちから毛嫌いされるかも知れません。それでも、子どもたちにあなたの真意が伝わっていたら、きっと、いつかは、理解してくれることでしょう。
21 実習生の受入
児童養護施設で実習生を受け入れる場合、最低限、以下のことを実習オリエンテーションで伝えます。
1.実習の心構えについて
・実習に当たっては、実習目的意識を明確に持ちましょう。また、チャレンジ精神と問題意識、計画性と自主性を持って臨んでください。
・「学生」意識を持たないこと。つまり、学校生活とは異なる児童養護施設の生活にあった行動意識を心がけましょう。
・職員は、児童の人格を尊重し、パーソナルケアの充実に努めています。児童福祉施設の実習生として「福祉」について理解を深め、児童と触れ合うようにしてください。
2.注意事項
・「あいさつ」は、丁寧に大きな声でします。(次の挨拶言葉が言えるように)
「おはようございます」「ありがとうございました」「失礼します」「すみません」
・遅刻は、認められません。指示された時間より早めに集合するようにしてください。
・服装は、刺激的な物は避け、施設の雰囲気に適した服を着てください。また、爪の長さも気を遣ってください。
・化粧は適度に、長髪は、清潔な印象を心がけてください。
・所持品の管理は、自己の責任で行ってください。貴重品等は、所持するか書記又は職員に預けるようにしてください。
・言葉づかいについては、相手の人格を軽視するようなことのないような配慮が必要です。
・実習期間中、児童との個別連絡や休日の約束は、職員に報告の上、対応してください。また、プライベート情報(住所や電話番号)は、極力伝えないようにしてください。
・児童との物品等の貸し借り、貸与、金品の授受は、禁止しています。
・当施設内は、原則として禁酒禁煙です。ただし、喫煙に関しては、所定の喫煙所を利用してください。
3.用意するもの
・実習生として、ふさわしい服装。
*行事等で職員の指示がある場合は、指示にあった服装を持ってきてください。
・室内履き(上履き又はサンダル)を持ってきてください。
・食費実費を実習終了時、書記に精算してください。
・宿直体験の時は、着替えや洗面用具も必要になります。
・実習記録・ノート・筆記具等を持ってきます。
・正装に近い服を一着用意してください。
*急な外出行事や授業参観、式典等がある場合もあります。
4.実習記録
・実習記録は、担当職員に負担がかからないように、次の配慮が必要です。
①記録の提出は、当日記録し提出します。
②誤字、当て字がないよう辞書を用意しておきます。
③ペン又は、ボールペンを使用してください。
④必ず質問事項を入れてください。担当者のコメントの足がかりになります。
・記録上の注意
①児童名など固有名詞は、使用しないでください。(イニシャル等に替える)
②児童の目の届くところに実習記録を放置しないようにしてください。
③読みやすい丁寧な字で記録してください。
児童養護施設で働くあなたへ、実習生の中には、次世代福祉従事者の金の卵が存在します。それは、あなたの受け入れ方、あるいは、指導方針によって、その金の卵が殻を破るかどうかがかかっていると言っても過言ではないでしょう。実習生の質問等には、丁寧に対応する姿勢を持ちましょう。それは、あなたにとって、普段の業務の復習にも繋がっていきます。
22 ボランティアの力
ボランティアを東洋的に表現すると「自願奉仕」と言うことになるでしょう。自ら願って奉仕する。更に付け加えると、自分の能力を無償で提供すると言うことになります。
社会福祉施設がボランティアの方を受け入れるのに次の三大要因が挙げられます。
①子どもたちの対人関係拡大のため。
②社会福祉の啓発のため。
③社会福祉従事者の発掘と育成のため。
児童養護施設の子どもたちは、比較的社会性が乏しく、極めて行動範囲の狭いパターンが見られます。そんな中、職員でも家族でもない、いつもと違う人が関わる中で、新しいふれあいや、新しい情報を子どもたちは、享受することができます。
社会福祉、特に児童福祉施設は、社会的な認知度が低く、その認知度を高めていくことは、社会福祉施設の義務でもあります。また、啓発を進めていく中で、この仕事をやりたいとの人材を発掘できるパターンもあり、そのような方の育成のお手伝いも、役割の一つと捉えています。
ボランティア活動を有意義にしていくために、次のことに関してご注意ください。
①所持品の管理は、自己の責任で行ってください。
②言葉づかいについては、相手の人格を軽視することのないようご配慮ください。
③子どもとの個別連絡や休日の約束については、実行する前に職員に助言を求めるようにお願いします。
④ご自分のプライベート情報(住所・電話番号等)は、極力伝えないようにしてください。
⑤子どもとの物品等の貸し借り、貸与、金品の授受は、控えてください。
⑥喫煙に関しては、所定の喫煙所をご利用ください。
⑦活動日に関しての打合せを担当者と行うようにしてください。
⑧ボランティア活動中知り得た、子どものプライバシー情報に関しましては、決して、外部に漏らさないようご協力をお願いいたします。(専門用語では、守秘義務の厳守と表現します。)
要望としては、細く長く、つまり定期性を持って活動していただくことを望みます。皆様方の趣味や特技、知識、技能などなどの能力を是非、子どもたちに存分に提供してください。皆様、お一人お一人の力が福祉の向上に繋がり、結果、子どもたちの利益に繋がっていきます。
さて、昔々の「ボランティア」は「奉仕の精神」と言う精神的な部分を重視していたと思いますが、阪神大震災以降は、「自分の能力を提供しよう」との方向へ移行してきているような印象を受けるのは私だけでしょうか。阪神大震災時、若者たちが阪神地区に駆けつけ、自分のできることを探し、兎にも角にも体を動かしていました。その若者たちの姿を見て感じたのが、「奉仕」ではなく「自分の力を使おう」との純粋な想いでした。
NPO団体についても、活動の初めから順風満帆にスタートするわけではないでしょう。たくさんたくさん啓発活動を行って、少しずつ認められていっているのです。
自分のポリシーは、自分の存在の証しです。そのことを自己覚知できれば、自ずと自分の歩むべき道が導きだせます。
児童虐待やDVなど負の状況が社会の課題として浮き彫りになってきている昨今、制度的にも少しずつ進化をしていますが、制度は社会の動きになかなか追いつかないものです。そこで、即戦力として課題に向かえるのは「ボランティア」ではないでしょうか。次第に混沌化していく日本社会、それを正常化に向けていくのは、他ならぬ「ボランティア」の純粋な力です。
「井の中の蛙大海を知らず」のことわざ通りにならないように見聞を広めることは、とても大切な姿勢です。それが視点の柔軟性や対応の応用力へと繋がっていきます。
是非、様々な経験を、どんどんチャレンジしていってください。また、素直に疑問を持つこと。これも大切なことです。疑問を持ってこそ解決していこうとの方向性が出てきます。それが、福祉の向上へと繋がっていくからです。常に疑問を持つ姿勢、時には理解し、時には反発を覚え、時には改革を目指す。それが、子どもたちへの利益に繋がれば最高のことです。
ただし、私たちは、何よりも子どもたちの利益を優先します。児童養護施設は、できうる限り家庭生活に近づけるよう努力を惜しんでいませんが、そう考えると、表現は悪いのですが「全然分からない相手」を子どもたちに近づけるわけにはいけません。従って、ボランティア活動をお受けする前に、必ず面談をさせていただきます。その席でボランティア活動上の条件を確認し、その上で「活動するか否か」を判断していただくようにしています。時には、面談により、活動を拒否させていただく場合も少なからずあります。それは、すべて、子どもたちの利益を最優先しているから故のことで、その旨、ご理解をお願いしています。
児童養護施設で働くあなたへ、ボランティアの方、子どもたち、双方にとって有益な活動になれるよう、最低限のルールとマナーが必要です。そのためには、遠慮は禁物です。お願いすべき事はお願いすることが大切です。その方が、活動するボランティアの方にとっても分かりやすいと思います。ボランティアの方の立場に立つと、自分の活動が受け入れられるのかどうかが、一番の気掛かりになりますので、明確なルールとマナーを伝えてもらった方が、良いのです。
福祉の力は、残念なことに、そこで働く職員の力だけでは、力量不足の傾向にあります。積極的にボランティアの方の力を借りましょう。ボランティアの力こそ、明日の福祉を支える原動力なのです。
23 食の安全への取り組み
BSE問題、牛肉偽装事件、産地偽装事件、消費期限偽装、事故米事件などなど、現在、子どもたちの食の安全を脅かす事件が多発しています。その様な事件がなくても、遺伝子組み換え食品、クローン食品、残留農薬、食品添加物(保存剤、着色剤含)、ワックスなど、また、関連する危険として環境ホルモンなど子どもたちの身体に知らず知らずの内に、健康被害物質が蓄積されています。その上、食品業者の不適切な衛生管理による食中毒被害など、子どもたちの食の安全を脅かす要因は様々です。
児童養護施設における食の安全は、どうでしょうか。例えば、肉、伝票には牛肉、或いは、国産牛肉と記載されているとします。そして、納入されているのは、国産ホルスタイン種(乳牛)だったとしたら、確かに伝票に嘘はありませんが、乳牛は、殆どの場合、一年中乳が出るようにホルモン剤を注入しています。確かに食べれるから市場に出ているのですが、子どもたちにとっては、不自然な物が身体に蓄積されていることになり、仕入れを避けるべきでしょう。ところが、調理員に、乳牛と食肉を見分ける技量がなければ、肉屋さんは、「安い価格で牛肉を提供」と宣伝し、納品するでしょう。その様な肉屋さんに限って、例えば、合い挽き肉などに内臓を入れて重さを調整していたりします。卵もちょっとぶつけただけで割れる卵は、大量生産用の鶏によるものであり、健康的な卵とは言い難く、その様な卵を子どもたちに食べさせることは、親心として躊躇してしまいます。冷凍食品が氾濫している昨今、殆どの調理室では、極力手作り調理を心がけていますが、大半を冷凍品に依存している調理室もあるかも知れません。冷凍品と言えども様々な薬品が使用されていますので、それを毎日食すると言うことは、身体の中に蓄積されていると言うことに他なりません。着色料つきのウィンナーやたくわん、サクランボなどなど、健康を脅かす食品は、たくさんありますので、適切に取捨選択する技量が求められています。
自然な物以外の物質が食の中に入っていれば、それは、子どもたちの身体の中に蓄積されていきます。保育士や児童指導員の皆さんも、食に対して、調理室にお任せだけではなく、子どもたちの代弁者として、自らチェックしていく姿勢を持つようにしてください。
食に対するリスクを少しでも軽減できるよう、調理室での安全管理を徹底すると共に、食品販売業者にも、協力依頼をします。
以下、主要な食品のみ、注意点を記しますので、それ以外の食品は、それに準ずると判断して下さい。
米 …産地・収穫年の明記、ブレンドの場合は、その旨も明記
肉 …国産は勿論のこと、生産地、部位を明記、挽肉等の混ぜ物の場合は、肉の配合比率を明記
*飼育時の飼料内容の調査
冷凍、冷蔵の場合は、箱内温度の管理、外箱の納入時持ち帰り
卵 …生産地又は生産者、採卵日、賞味期限を明記、外箱の納入時持ち帰り
*養鶏場における飼料内容の調査(飼料成分の提示及びホルモン剤投与の有無)
魚 …魚の種類、産地、天然か養殖かの区別
冷凍、冷蔵の場合は、箱内温度の管理、外箱の納入時持ち帰り
野菜 …生産地、農薬を使用しているか無農薬かの区別
外箱の納入時持ち帰り
果物 …生産地、農薬を使用しているか無農薬かの区別
外箱の納入時持ち帰り
冷凍食品…生産国、原産国、消費期限を明記
箱内温度の管理、外箱の納入時持ち帰り
*食品安全証明書が発行されている食品については、そのコピーを管理栄養士に提出。
24 新任職員の悩み例
4月から児童養護施設で働いています。周りの職員はことあるごとに子どもに怒って子どもの行動をまとめています。自分としてはしょっちゅう怒るのも嫌なのでなるべく話して分かってもらうようにしたいと思っているのですがなかなか上手くいきません。
ある職員がなめられないように最初が肝心と言っていましたがそういうものなのでしょうか。
回答
まず、視点がどこを向いているかです。「自分としてはしょっちゅう怒るのも嫌なので」と言う視点は、自分の側を見ており、主観的です。
視点を子どもたちに向けて、再考してみましょう。「周りの職員はことあるごとに子どもに怒って子どもの行動をまとめています。」と言う状態が、子どもたちにとって、不利益な状態であれば、即座に改善する必要があります。
あなたは、児童養護施設で働いている方なので、
①専門職に従事する職員。
②法律的に成人としての立場を持っている。
となります。と言うことは、プロであり、責任を担う大人でもあります。子どもたちの為に改善すべき事案があるのであれば、あなた自身が自覚と責任を持って、職場を変えていくのが当然ではないでしょうか。
「なめられないように最初が肝心」と言うのは、職場で良く使用される慣用句みたいな言葉ですが、これは、明らかに誤りです。子どもたちの立場に立って考えると、自分たちが過ごしやすいようにするためには、新人職員を試し、この職員は、どの程度、自分たちのことを本気で関わってくれるのか判断します。そのためには、初めは、なめてかかるのが当然です。考えてみてください。あなた自身、初めて会った人を信用できますか、尊敬できますか。子どもたちも同じなのです。
子どもたちから、なめられる。それが当たり前であり、その状態から脱するため、あなたがやるべき事は、子どもたちから、信用できる大人として認めて貰うことです。
例えば、私が30歳代で勤め始めた児童養護施設時代、最初の目標は、全児童・全職員から「なめられる」ことでした。10数年、福祉の世界で働いている、いわゆる中堅レベルであるからこそ、自分に難しい課題を課せたのです。
当初は、全児童に対して、「さん、くん」付けです。子どもたちは、次から次へと試してきます。特に、学齢の高い子どもたちは、反発を繰り返します。そんな中、私のキャラクターを子どもたちに伝えていき、「ダメなことはダメ」と明確に打ち出していきました。約半年後には、殆どの子どもたちに対して、「さん、くん」を付けないで呼べるほどの関係構築ができました。同時に、職員たちからの信頼を得ることができました。
子どもたちからの信頼は、時間がたてば得られるものでもなく、注意したり、叱りつけて得られるものでもありません。あなたが、信頼されるように訴えていくことが重要なのです。時には、話し合い、時には、叱りつけ、時には、共に泣き、最も大切なことは、共に笑い合うことです。そのような積み重ねが必要なのです。仮に子どもたちを2回、叱ったとしたら、少なくても8回は褒めましょう。子どもたちへの対応で最も重要なことは、褒めることです。善悪の区別を明確にし、悪であれば、叱りつけることが対応のメリハリです。
「話して分かってもらう」は、確かに正論ですが、それは理想論です。自分自身を振り返ってみましょう。あなたは、子ども時代、大人に諭されたら全て素直に受け入れていましたか、そうではなかったと思います。厳しいけれど本気で関わってくる大人に対して、その時は、立腹していたけれど、今でもその時のことを覚えている。と言うような記憶はありませんか。
子どもたちは、あなたが本気で関わっていけば、必ず、あなたのことを理解してくれます。そして、その理解が納得できれば、信用へと発展していきます。その信用の積み重ねが信頼へと変わっていくのです。
まずは、自己覚知をしましょう。自分のことを理解することが先決事項です。そうすると自ずと歩むべき道筋が見えてくることでしょう。そして、自己研鑽へと向かいます。常に自分の人格を成長させていくことです。そのことが、必ず、子どもたちへの支援を向上させていくことでしょう。
25 中堅職員とは
一般的に中堅職員の役割とはどのようなものが挙げられますか?
回答
まず、中堅職員と言う単語は、曖昧な表現なのです。年数的に、何年間以上働いたら中堅職員と言う取り決めもなく、どの様な役割を担っているから中堅職員との取り決めもなく、ただ、感覚的に中堅職員という単語を使用しているに過ぎません。
単純に5年以上働いているから中堅職員とした場合に、勿論、職場の中でリーダー的役割を担っている方が多く存在しますが、残念なことに、指示されないと仕事が出来ない、指示されても結果報告がない、子どもたちへの対応で不適切な対応を繰り返す等の方も存在します。
OJT(On-the-Job Training)は、職務遂行を通じて管理者が部下に対し、意図的・計画的な指導・育成をマンツーマンで行うことと定義されていますが、児童養護施設の場合、一般職員、主任、施設長と言う組織編成が多く、OJTに該当するのが、主任クラスになり、主任に等しい役割を担う職員もおり、その立場の人が中堅と呼べるかも知れません。
OJT的な分類としては、初級職員、中級職員、上級職員となりますが、その内、中級職員の立場や役割を担っている人が、中堅と呼べるかも知れません。
そんな中、敢えて、中堅職員を表現する場合。
・子どもたちへの対応に柔軟性があり、対応の方向性を複数有し、その中から適正な対応を選択できる人。
・児童養護施設の現状を把握し、最新情報を収集する能力を有し、その情報を他の職員に伝えることが出来る人。
*児童福祉法等の法改正や厚生労働省の通知、通達など。
・他の職員が業務を進める上で、苦慮しているときに、どの様にフォローすれば良いか、判断できる人。また、適切な助言が出来る人。
・他の職員が不適切な対応をしているとき、修正を促したり、適正な対応を助言できる人。
・子どもたちへの対応は、勿論のこと、業務全般について、信頼できる業務遂行能力を有している人。
・子どもたちの保護者に対して適切な対応が出来、時には、保護者に助言できる等のファミリーケースワーク技法を発揮できる人。
・職員会議やミーティング等で積極的に自分の意見を発言したり、他の職員の意見を聞いたり、時には、適切な方向へと導いたり出来る人。
・児童心理、発達心理、保育原理、グループワーク、ケースワーク等の専門知識を有し、それらを業務に生かせる人。
・若手職員にとって、その人が傍にいるだけで、安心感があり、時には、励みになったり出来る存在。
・職場内で、複数の責任ある役割を有し、その役割に対して、他の職員や施設長からの信頼を得ている人。
・何よりも、子どもたちから信用と信頼を得ている人。
・以上の内容について、実績を有する人。
とりあえず、思いつくままに挙げましたが、要するに職場内において、信頼できる存在であり、その信頼に値する役割を担い、職務に対して責任感を有している人が中堅職員として認識されると考えられます。
従って、中堅職員とは、施設長や同僚から認められ、その後に本人が認識することであって、その過程がないのに本人が「自分は中堅職員だ」と解釈するのは、本末転倒と言えます。私が若いとき勤めていた職場の施設長は、一般職は、主任の仕事を主任は課長の仕事を課長は施設長の仕事をするつもりで、業務に励みなさいと伝えていました。私は、その考えに同意しています。