見返りを求めず
昭和58年頃は、学校崩壊の話題がニュースの紙面を飾るような時代でありました。そんな中、横浜市で中学生のグループが路上生活者を襲って死亡させると言うショッキングな事件がありました。それだけでも社会的衝撃度は大きかったのですが、その3日後くらいだったと記憶していますが、T中学校事件が起きました。中学3年生の男子生徒2名が、英語のY教諭(38歳)を挑発し、1人の生徒が金網の泥よけマットを持ち上げ、更に挑発をエスカレートさせようとした時、Y教諭が懐に持っていた果物ナイフで生徒の胸を刺し逃走したと言う事件です。
T中学校は、当時、学校生活が確実に崩壊していました。教室の窓ガラスは割られ、トイレのドアと言うドアは、外され、窓から机や椅子がほうり投げられる。教室で生徒が堂々とタバコを吸っていても教師は、注意することさえできない。学校の秩序は崩壊し、建物も廃墟と化した状態でした。
歯車が狂ったのは、ほんの些細な事でした。T中学校は、学則を厳守し規律厳しい学校で、生活指導の教諭を先頭に、毎朝、校門で服装や髪型、持ち物のチェックが行われていました。生徒たちは、その厳しさに従っていましたが、不満の渦は、密かに大きく膨れあがっていました。そんな時、不良と呼ばれたい生徒の一人が白いエナメル靴を履いて登校してきました。勿論、校則違反の靴です。しかし、教諭たちは、見過ごしたのか、見て見ぬふりをしたのか、定かではありませんが、その生徒を校門の中に通してしまいました。
それが序曲となり、調和良く奏でていた学校生活のリズムが乱調となり不協和音の嵐が吹き荒れました。
私も当時、授業参観でT中学校に行くことがありましたが、確かに学校を恐怖が覆っていました。誰がいつ爆発して暴れ出すか分からない、そんな言いようのない暗雲が立ちこめていました。
生徒の暴力で怪我をする先生もいて、先生が精神的に疲弊してしまい、登校拒否になると言うパターンもありました。そんな状況の中で起きた事件でした。2月15日午後4時頃の出来事です。生徒にとっては進路もある程度決まっていて、その上、放課後です。教諭が一番警戒している時期でした。
さて、当時のPTA会長は、キリスト教会に所属する敬虔なクリスチャンでした。事件後、PTA役員の保護者を集め、今後の対応策を協議しました。保護者は、一様に、ここまで荒れ果てた学校を正常化していくことは不可能だと言う空気が会議室を埋め尽くす中、PTA会長は、穏やかな表情に確固たる信念を秘めながら口を開きました。
「生徒たちに挨拶をしましょう。毎朝、毎夕、挨拶をしましょう。私たちは、保護者ですから、生徒たちを注意する必要はありません。ただ、笑顔で挨拶するだけです。決して、見張りや監視ではありません。私たちは、生徒たちの保護者として、温かく見守るのです。生徒たちが挨拶を返してこなくても良いではありませんか。いつか、生徒たちに私たちの気持ちが通じれば、それで良いではありませんか。」
このPTA会長の言葉には、重みがあり、PTA役員のだれ一人として反論を唱える者はいませんでした。
そして、保護者の当番表が作成され、毎朝、毎夕の挨拶運動が始まりました。この挨拶運動は、1年間、継続して行われましたが、1年後の学校生活は、ほぼ正常な状態に回復していました。
見返りを求めず、ただ、子どもたちのために尽くす姿勢、継続して行えば、必ず、結果をもたらしてくれることでしょう。そして、心を一つにして一枚岩となった大人たちのチームワークも大切です。
私のパソコン歴
1980年前半の書類作成は、ガリ版刷り。鉄筆で下手な字を書き入れ、わら半紙に印刷し職員会議で配布していました。次は、デュプロ印刷、これは、鉄筆を使わなくて良い分、少し楽でした。次に使い始めたのが和文タイプライター、下手な手書き文字から活字への変換点です。文字を探したら右手で文字を選び左手でレバーを押し下げ印字すると言う作業、慣れると結構早くタイピング出来る代物です。
1980年中盤になるとワープロ専用機が庶民の手の届く普及価格になってきました。シャープの書院、東芝のルポ、富士通の親指シフト、オアシスが有名どころでした。初期の頃の液晶は、1行表示でした。そして、選んだのがカシオです。それから約7年間、カシオのワープロ機を1年ごとに買い換えながら使用しました。と言うのは、4半期ごとに新機種発表で、1年使っていたら、どうしても最新の機能を使いたくなる、その様な企業戦略にまんまと乗っかっていた感じです。
当時のパソコンは、まだ、Windows3.1の時代で、ワープロ機能だけが必要な私にとっては、専用機で十分でした。
1990年代になるとワープロ専用機も機能的には限界まで来ていました。そんなときに登場したのがWindows95です。更にNECがバリュースターを発売、パソコンも庶民の手の届く普及価格になってきました。当時の私は、30歳もとうに過ぎていましたが、一念発起、ワープロ専用機の呪縛から逃れ、パソコンに転向しました。
そして、ワープロソフト一太郎との出会いです。現在でこそ、同梱ソフトは、マイクロソフトのofficeが主流ですが、当時は、一太郎とロータス123の組み合わせが出回っていました。ワープロは、日本人が作った一太郎、西洋人が作ったワードは、私的にはなじめませんでした。現在でもワープロは一太郎派です。但し、表計算ソフトは、エクセル、プレゼンテーションソフトは、パワーポイントです。
パソコンを始めてから5年後位にホームページを作成し、それから幾つものホームページを作成し、現在に至っています。
どんなに時代が変化しても維持していく事柄もあれば、変化に応じて変えていかなければいけない事柄もあります。大切な事は、時代の変化に対応できる柔軟性です。例えば、パソコンを使えない。使う気もない。これは、貫き通すことが良いのか。それとも自分の意志を曲げて、パソコンを使う努力をした方が、良いのか。後者が柔軟性のある対応と思います。子どもたちへの対応でも、取捨選択すべき事柄が次から次へと生じる中、あなたの柔軟性が試されています。
メールの中の物語
ホームページの問い合わせフォームを通して、様々なメールが届きますが、その中から、とても貴重な一例を取り上げてみました。なお、実際のメールを再現していますが個人が特定できないよう一部修正しています。
2006 年のメール
現在アメリカ、○○○○州に在住です。アメリカ人の夫を持ち、私たち夫婦子供が大好きですが、子供に恵まれません。今年主人の転勤で○○○市になります。不妊治療にたくさんお金をかけ、日本ではたくさん親の必要な子供がいるのに疑問を持ち、養子を考えています。インターネット等で調べた所、親と子の年齢差が40歳以下(私は○○歳、主人は○○歳の白人アメリカ人です)。片親は家にいなければいけない(アメリカ社会では、共働きが当たり前ですし、子供が小さなうちは家にいることは問題無いですが、長い期間となると難しいです)。
日本で何年間か育てる事を考えると、もし私たちの子供のように見えるハーフの子供を養子にできれば、一番と考えています。(アメリカ社会では養子が普通な事ですが、日本では世間の目も冷たいと思うので)。少しでもそちらの情報をいただければと思っています。よろしくお願い致します。
お問い合わせありがとうございました。結論は、回答が難しいと言うのが本音です。
私どもは、児童養護施設の運営を致しておりますので、里親制度に関しましては、専門的な情報を持ち合わせていないのが実情です。
メール内容からお察ししますが日本の里親制度に関しましては、インターネットでお調べになられていますので、○○さんの方が詳しいかも知れません。
念のために参考サイトをご紹介します。
里親○○ *********************
○○さんの里親のホームページ*********************
さて、児童養護施設にもハーフの子どもたちが数名います。東南アジア系のハーフが多いのですが、殆ど保護者がいます。
従って、里親や養子縁組等を利用できる子どもたちは、いないのです。実になる情報を差し上げられませんので、残念ですが、○○さんのお考えには、賛同すると共に共感いたします。
是非、○○さんの夢が実現できますようお祈りいたしております。
お返事ありがとうございました。
日本に帰ったら、夫ときちんと相談し、里親制度に登録してみようかと考えています。
これも縁があったらだと思いますが。実際、児童養護施設では、里親のボランティア等は足りているのでしょうか?養子に出す場合も、子供の数よりももらいたいと言う人たちの方が多いのが現状なのでしょうか?
アメリカのサイトにも日本の子供を養子にするエージャンシーがおります。費用も300万位かかるとの事で、そのお金はいったい何に使われているのか、ちゃんとした機関を通さず個人と個人での間で養子が決まっているのか、今色々な疑問が出てきています。
現在、私は養子がものすごく欲しい、という気持ちではありません。また、養子をもらうというのは、ものすごい責任なので、簡単には決められないとも思います。(考えすぎる必要も無いとも思いますが)ただ、使命感というか、私にも何かできないのかっていう気持ちになりました。
以前は、水泳を教えたり、保育園で働いたり、スキー教室に行ったり、子供と接する事がたくさんありましたが不妊治療が進むにつれて、子供をなるべく避けるようになりました。でもなぜか、今、私も主人も子供は大好きなのだから、何か自分たちにもできないだろうかという気持ちになり子供たちと近づきたいって思うようになりました。それと同時に調べていて、分からない点や、矛盾する事なども良い方向に行かないのだろうかと考えるようになりました。
アメリカではドラッグをしてる親から生まれてきたりする子供が多いのですが子供たちも一人ずつ、事情が違うと思いますが、児童養護施設での子供たちの様子や大変な点、これから改善した点などもし教えて頂けたらと思っています。
色々と長く書いてしまいましたら、もしお時間がありましたら、よろしくお願いいたします。頂いたサイトもこれから、調べてみます。ありがとうございました。
日本に於いて、里親制度は、その制度が存在していることを知らない人の方が多いくらいです。ましてや、養子縁組ともなると、どの様な手続きが必要なのかを理解している人は、もの凄く限られた人々でしょう。それ位、制度そのものが浸透しておらず、その制度も、国が運用しているというより、民間に任されているのが現状です。
日本でも昭和30年代頃までは、里親、精神里親、養子縁組等も、結構あったようですが、平成の現代に於いては、沈静化しています。
①孤児が殆どいなくなったこと。
②費用等が掛かる場合、人身売買と勘違いされる。
③遺産等で財産がある場合、後見人制度が活用される。
④養育費用の援助体制が貧弱であること。
⑤家の間取りに余裕のある家庭が少ないこと。
等々が挙げられますが、時は、平成の世になっても、昔ながらの「家」「血」の感覚は、残っているようで、自分の「家」に、他人を入れると言うことに抵抗を感じる人が多い印象です。
さて、児童養護施設は、国からの措置費(税金)支弁によって運営されています。その様な場合、措置権者が都道府県知事又は政令指定都市の場合は、市長となります。施設長は、親権者代行の役割となるわけです。つまり、児童養護施設には、里親に出したり、養子縁組に出したりする権限はなく、措置委託を受けている状況なのです。
もし、里親や養子縁組の話がある場合は、児童相談所が窓口となり調整をします。従って、児童養護施設は、受け身の状態になるのですが、里親や養子縁組の話が舞い込んでくることは、極々希なことでしょう。
児童養護施設では、夏の盆、冬の年末年始等に自宅に帰省する子どもたちがいますが、様々な事情で帰省出来ない子どもたちが、数人いて、無償で、その期間預かってくださるご家庭があります。夏と冬だけではなく年間を通じて、子どもたちと関わってくださる善意ある人々です。
○○さんのご家庭の場合、この様な形で最初はスタートし、里親としての意識の部分を訓練し、本当にやって行けそうと、確信できてから、里親制度を利用してみるのも、一つの道筋かも知れません。
今日は、正月明けで業務に余裕がありましたので、長文になりました。これからは、年度末に向けて会計職は、忙しくなりますので、回答する余裕がなくなると予測できます。もっともっと懇切丁寧に回答を下さるサイトもございますので、今後は、そちらの方を積極的にご活用ください。
では、お役に立てたかどうかは、分かりませんが、○○さんの目標に向けての働きかけの一助になれば幸いです。
親切に時間を割いて頂き、とても感謝しております。これから、国の制度ももっと明確に、そして一般市民の理解一人でも子供たちがもっと幸せになる事を私も願いつつ私たちにできる事があれば、したいなあとメイルを頂き感じました。
里親制度は今の私たちにとって、てとも良いと思います。実際私自身まだ養子を必ず欲しいという、心構えはできていません。でも、何か使命感というの感じます。民間に任されるという部分も読んで、現実問題、何事にもお金がかかるので決して人身売買では、ないというのが納得できると同時に、例えばアメリカ人が日本人の子供を養子にする場合などエージャンシーなど間に入っている人(誰か)が儲けているというような事実もあるのではないかという印象もうけました。それぞれのサイトで内容の違った部分もあり、明確でない部分もたくさんあるのではないかと思いました。
私自身もアメリカではフォスターペアレンツといって、里親制度があるのを知っていましたが私も日本でそのよう人に出会ったこともないし、日本にあることも知りませんでした。里親制度も浸透していないということなので、養子を親に反対されている友達にも勧めてみようかと思っています。本当にありがとうございました。
色々熱心にお返事を頂きどうもありがとうございました。養子の事も真剣に考えはじめたと同時に旦那の年齢が高い事、親が反対している事、経済的に共働きでないと難しい事と結局私の今の結果は、早く日本転勤が決まり、お金を貯めてもう一度体外受精に挑戦する事でした。そして、里親制度を利用して、自分の為にも、少しでも子供たちの力になりたいと言う事です。
アメリカでは医療費が高い為、一回に100万位かかります。だから、もうここでは、次はできないとあきらめてました。しかし、今日病院に行ったところ、ドクターがただでもう一度チャンスをくれると言ってくれました。彼は○○○○から来た外国人でもあります。あまりにうれしくて、帰りの車では涙が出てきました。そして、里親や養子に対する考えは変わっておりませんが、うれしくてどうしても伝えたく、メイルします。
夢は、追いかけ続けるものですね。まだ、夢に向かっての途中経過、あきらめずに追い求めてください。○○さんの喜びが、すごくすごく伝わってきます。まだまだ、チャンスの段階ではありますが、そのチャンスが大切です。神様から与えられたチャンスを是非、生かしてください。
どんなに辛い時期があっても、必ず見返りでラッキーな時期もあるはずです。今、まさにその時と信じています。何も、ヘルプは出来ませんけれども、グッドラックを願っています。
お返事ありがとうございます。私もこれは、神様が与えてくれたチャンスだって思ってます。神様は本当にいるんだろうかと考える日々もありました。前に向かっていれば、必ず道は開けるって思いました。
私はクリスチャンじゃないのですが、毎週日曜、牧師さんの話を聞いています。最初、二回の顕微授精は違ったドクターでやったのですがその時は心の中まで傷つけられ、しかも後で、やるはずの処置もなされてない事がわかりました。
本当励ましのお言葉ありがとうございます。
2008 年のメール
お久しぶりです。昔のメイルを探していたところこのメイルを見つけました。このメイルから既に2年が経過しました。結局あの後、2回体外授精をしましたが○○○○州では妊娠せず、2006年の夏に○○○市勤務になり去年日本で始めての体外授精(TOTAL 6回目の体外授精)をしました。主人ともこれで最後にしようと決めていました。奇跡はおこり双子を妊娠しました、薬の副作用でお腹に5 KG も水が溜まりその後つわりが始まり、やっと安心し始めた頃、二人とも流産していまい年末に流産の手術をしました。 本当に色んな事があり、色々と考えさせられました。今はすっかり身体も回復したので、次の凍結卵を戻すために治療を再開しています。
このメイルをあらためて、読んで、私はこんなふうに思われて幸せだなあと思いました。そして、やはり神様に守られているような気がします。本当に私の為に素敵なメイルを書いて頂きありがとうございます。いつかきっといい報告ができると信じてがんばります。
北風の吹く寒い日の朝、男の子の兄弟二人が門の付近で遊んでいます。お昼もそこにいます。夕方もそこにいました。母が、電話で「○月○日、面会に行くからね。」と約束していたからです。私は、母に「確実でない約束はしないように」と注意を促します。それでも、母は、子どもから「今度いつ会いにくるの」と問いかけられると、ついつい、約束をしてしまいます。
子どもたちは、裏切られることを信じていません。いや、信じたくないのでしょう。約束の日、朝から夕方まで門の所にいます。母は、その日も来ませんでした。この兄弟は、何度も何度も母に裏切られましたがそれでも、母を信じ続けました。それから、3年後、母に引き取られていきました。
子どもたちと一緒に生きている大人は、子どもたちに裏切られ続けることが役目です。子どもが悪いことをしたとき、「もう同じ過ちは繰り返すなよ」と時には、叱り、時には、情けなくて共に泣き、時には、時間を掛けて話をし、時には、無言で一緒に座っている、それでも、また、次の過ちを犯してしまいます。大人は、信じ続けるしか方法がありません。「もう、同じ過ちは繰り返さないね。信じているよ。」大人が子どもを信じなくなったら、それで終わりです。だから信じ続けるしかありません。
ある子どもが、園を旅立っていくとき、言いました。「○○さんは、あの時、俺を本気で叱ってくれた。その時は、腹が立ったが、俺の事で本気になってくれたことを今では、感謝している。」大人の一途な気持ち、いつかは報われることもあります。
○○さんは、まだ諦めていない。成功を信じ続けている。くじけても立ち上がる姿。そんな○○さんの姿が心強く感じられます。
こんにちは。お返事ありがとうございます。その二人の兄弟たちは今は幸せに母親と暮らしていますか?今迄会えなかった分、たくさん甘える事ができたらと思います。
子供も大人になりきれていない大人もどこかで愛情を求めているのかもしれないですね。世の中には本当色んな環境で色んな状況の中、戦っている人たちがたくさんいると思います。普段の生活では、あまり目立たないけれど、実はとってもたくさん。健康な身体と恵まれた家族や友人に囲まれている事を本当に感謝しています。そして、だからこそ夢も実現させたい。きっと実現できる気がします。児童養護施設でたくさんの子供たちが少しでも幸せになれる事をお祈ります。
人生は様々です。子どもを育てられない。育てたくても育てる環境が充実していない。育てる能力が未熟等々の状況もあれば、子どもを育てたくても肝心の子どもを授からないと言う状況もあります。あなた自身が、様々な状況を理解し、共感し、子どもたちとおつきあいしましょう。